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個性的であろうとせずとも人はみな。

猫もウサギもそうだと思うけど、ひとまず犬を例に書く。

犬の飼い主はみな、自分ちの犬を特別な目で見ている。そりゃあ、よその犬とは違うさ。というのは当たり前の話だけれども、ぼくが言いたい「特別」は、ちょっとだけ意味が違う。飼い主みんなにアンケートをとったわけじゃないので当てずっぽうの話にはなるものの、ひとつ確信をもって言えることがある。

犬の飼い主はみな、自分ちの犬を「ちょっとヘン」だと思っているのだ。

うちの犬は、ここがヘンだ。よその犬とは、ここが違う。こんなことをする犬なんて、ほかにいない。こんな顔をする犬、見たことがない。——そういう「うちの犬だけのヘンなところ」をそれぞれが見つけ、そこをいたく愛好している。

わが家の犬もまったくそうで、見れば見るほど「ヘン」だと思う。ぼくは犬という生きもの全般を愛する人間でありながら、やっぱり断トツで好きなのは自分ちの犬であり、その愛おしさやかけがえのなさは、彼の「ヘン」に頼るところが大きいように思う。

しかしながら、これも当たり前の話として、どの犬だって一緒に何年も暮らしていたら「ヘン」なのだ。「ヘン」なところが、いっぱいあるのだ。相手が人間だったらそれを個性と呼んだりするのかもしれないけれど、犬に対しては胸いっぱいの愛情を込めて「ヘン」の言葉を使いたい。


犬自身は、別に「ヘン」であろうとはしていない。個性的であろうなんて、夢にも思っていない。彼ら・彼女らの「ヘン」を、つまりは個性を見出しているのは、他人としての人間である。

ぼくのまわりにも、「ヘン」な人はたくさんいる。

それは優れた個性の持ち主というよりも、ぼくとの距離の近さ、また親密さによるものだろうと思っている。個性とは、他人が見出すものなのだ。