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確定申告のおわりに。

確定申告が終わった。

作業のほとんどを税理士さんにお願いしているとはいえ、この山を越えるとどこか心が晴々するから不思議である。納税は、憲法にも定められた国民の義務。明日からまた一年間、大手を振って日の当たる場所を歩こう。

ぼくがはじめて納税を意識したのは、平成元年の消費税導入だった。当時高校生だったぼくは、怒り心頭だった。小学校の社会科だったか中学校の公民だったかで教えられた「税のしくみ」とかなり違うように思われたのだ。

もともとがバカボンな人間であるうえに小学・中学時代の記憶なので間違っているところも多いだろうけど、おおざっぱにいうと税金とは「働くことで得た報酬」に対してかかるものだと、ぼくは理解していた。働くこと、すなわち勤労は、国民の義務である。そして働けば当然、お給料がもらえる。しかしながらそのお給料、また「儲け」については、これまた国民の義務である税金がかかる。みんなで働き、みんなで納める。そうして世のなかを回していこう。およそそんな理屈で、ぼくは税を理解していた。

ところが、働くことも報酬を得ることもしていない高校生からも、税をまきあげる。それがぼくにとっての消費税だった。しかも、そこに異を唱えたくとも自分たち高校生には選挙権がない。冗談じゃねえ、どうしたらいいんだよ。


しかしながらその後、無事に成人して、紆余曲折を経てフリーランスに身をやつし、金銭上の理由から事実上の税金ともいえる国民年金を滞納していた数年間、ぼくはほんとに心苦しかった。はやく国から求められるお金を満額支払って、意気揚々と表を歩きたかった。滞納していた国民年金を遡って全額納付した日、区役所の窓から差し込むあの輝かしい陽光を、ぼくはいまでも憶えている。

納税のタイミングがくるたびに、若干の不本意は感じる。ちゃんといい使い方をしてね、とは思う。それでも払いたくないとか節税したいとかをまるで思わないのは、むしろガンガン払いたいと思うのは、滞納していた国民年金の思い出があるからなのかもなあ。払えた自分がうれしかったからね。