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好きこそものの上手なれ、の代わりに。

好きこそものの上手なれ、ということわざがある。

言わんとすることはわかるものの、たいへん大雑把なことわざだ。たとえばぼくは、とんかつが好きである。チキンカツも相当に好きだ。イカフライも大好きだし、メンチカツも負けちゃいない。けれども、それら「パン粉をまぶして揚げたもの」が好きであっても、揚げものの腕は上達しない。そもそも、自分で揚げようという気がほぼ起きない。店で食うにかぎるのだ、そういうものは。

どうも事例の選択を誤った気がするが、このまま続けよう。

ぼくの職業はライターである。「好きこそものの上手なれ」の原則に倣うなら、ぼくは書くことが「好き」だということになる。ここの note にしても「好き」だから書いている、てな話になる。たのしくてたまらない。うれしくてたまらない。だから毎日書いているのだと。

「んなわけねえよ」と、ことわざの創造主に言いたい。

締切のある原稿を書くことは、うれしいものではない。とんかつ定食のように、胸の躍るものではない。それでもどうにか毎日(正確には週日)の更新を8年間にわたって続けていられるのは、「そんなに苦じゃない」からだ。

うれしくはない。たのしくもない。しかしながら、そんなに苦じゃない。そのあたりにきっと、継続の秘訣があるのだと思う。うれしくないし、つらいのだけど、ほんとうの「苦」かと言えば、それは違うのだ。もっと本格的な「苦」は、いっぱいあるのだ。

そして、そういう「苦じゃないもの」のことはもう、「得意」と言っていいのだと思う。「上手」ではない。つまり技術的に優れているわけではない。ただの「得意」。得意と上手はぜんぜん違うものだし、上手をめざしていたら書けやしないのだ、こんなものを毎日なんて。


SNSを開いていると、文章なら文章の「上手」をめざす人に向けた教訓やアドバイスにあふれている。文章にかぎらず、経営の「上手」をめざしていたり、営業の「上手」をめざしていたり、コミュニケーションの「上手」をめざしていたりと、みんなとにかく上手一色だ。

上手になんてならなくていいんだよ、と本気で思う。まずは得意になろう。「苦じゃない」ところに行こう。


苦じゃないものこそ得意なれ。

なんて語呂のよくない言葉はことわざになってくれないだろうけれど、そう思うのだ。