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哲学が終わった時代(哲学講座6)

さてさて、哲学マガジンも少しずつ進んでるね。
最初から読みたい!という人はこちらから。
前回読みそびれたー!っていう人はこっちね。
前回までを一行で要約すると、
いろんな文化が入り混じって真理がわかんなくなっちゃった!」ってことね!
だから、なんで一行でまとまるんだよ!!!前回の記事なんだったんだよ!!
んで、このごちゃ混ぜの考えはさらにごちゃごちゃしたんだ。
さあ、今日はそれを見ていこう。

1.ストイックな奴ら。

この時代大体2000年くらい前なんだけど、ストア派という人たちの考え方が生まれたんだ。
これは、簡単にいうと、
千の風に〜千のカーゼになあって〜」という感じね。
はい。伝わった?伝わらないなら、「千の風になって」を聞いてみよう!(ごめん、URL貼りたかったんだけど、全部違法アップロードっぽくてここには載せられなかった。)
聞いてみた?伝わった?伝わらないよね。
ストア派というのはこういう感じなんだ。

世界は一つで、自分もその一部。

という考え方なんだ。
だから、自分は死んだら風になるとか、大地に帰る。
というようなことになるんだね。

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そして、いろいろなことを吸収して、理性で全てを判断しようってなんだよね。
欲望からの解放!!
だから彼らは、感傷的なことを嫌ったんだね。
その欲望に振り回されない姿が、周りから「ストイック」って呼ばれた所以だね。(←ゆえんって読むよ)

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2.めっちゃストイックじゃない奴ら

さあこのストイックな奴らとは別に、全く逆の人たちもいたんだ。
快楽至上主義者の人たち。これをエピクロス学派というね。(多分、今のみんなはこの考えが結構強いんじゃないかな?)
彼らは、人生死んだら終わりなんだから生きてる時間最高に快楽を味わおうぜー!っていうタイプの人たちだね。
エピクロスは、こう言ったんだ。
「なぜ、死を恐るのか。」
さらに、名言はこちら

「わたしたちが存在するあいだ、死は存在しないし、死が存在するや否や、私たちはもう、そこには存在しない。」

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でも、勘違いしないでね。
この、快楽主義っていうのは何もSEXとか今みたいな不道徳な考えじゃいんだ。我慢して得られる快楽があるなら、それを耐え忍ぶ。という姿があったんだ。
それは、勉強という忍耐をすれば、その先に成功という快楽がある。
だから、勉強をする。そんな考え方なんだね。
モットーは、「今を生きよ!」だね。

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3.哲学の終止符

そんなごちゃ混ぜの時代にこの世界の歴史を大きく変える出来事がイスラエルで起きたんだ。
このイスラエルっていう地名でハッとした君は、すごいね!
そう。イエス・キリストの登場だね。
彼は、真理を説いたんだ。

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ユダヤ人だけの神様ではなく、神は、全世界に開かれた神の真理の救いだと言ったんだね。
有名な言葉はこれだ。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

世というのは世界を表しているね。
これは、世界に大きなインパクトを与えたんだ。
そして、彼の弟子となったパウロという人は、ヨーロッパやアジアで哲学者たちと語り合い、キリストの真理を教えたんだね。

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そして、多くの人がこのキリストを信じるようになったんだ。
なぜなら、前回のブログでもやったけど、みんな真理が分からなかったからだね。
そこに、真理とは、これだー!っていうのが現れたんだ。
願ったり叶ったりだよね。
っていうか、不思議だね。
神の否定から始まった哲学は、神を信じることに戻ってきたんだ。

そしてこの先どうなったのかというと、みんなも知っている通り、キリスト教が中心となっていくね。
だから、この先の哲学は、キリスト教哲学となっていくんだ。
神様が前提で物事を理解することだね。
だから、、自然哲学者からこの古代哲学者たちの流れは、いったんここで区切られてしまうんだ。
さあ、この先のキリスト教哲学がどうなっていくか、それは、また次回だね!

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