F氏

工学系の大学院を卒業。製造業の研究開発→環境計測へ。 "未来の予兆は直感的に…

F氏

工学系の大学院を卒業。製造業の研究開発→環境計測へ。 "未来の予兆は直感的に感じ取らなければならない”という「賢明な破局論」的立場をとる。 「小さな波紋がいずれ大きな波紋となる」

最近の記事

ドグマ化(教条主義化)する現代社会

すべてのルールは書かれたものである。 その書かれた時代状況に特有の使命を果たそうとする。 ゆえに時代状況が変われば、 ルールを上書きするか、書き換えるか、意味付けを変えるか、 いずれかをしなければルールはもはやルールとしての機能を果たさなくなるだけでなく、その組織が果たすべき目的や生む出す価値に対する主要な障害となるだろう。 しかしながら、伝統と呼ばれるものが存在することで状況は分かりにくいものとなる。 ・「伝統」とは何であろうか。 「伝統」とは「ルール」のことなのか

    • 世界観の強制=テレビというメディアの力

      こんばんは。 久々にメディア論をひとつ書いてみようと思います。 というのも、前々から感じていたテレビというメディアのこの国における存在論的な意味について、何となく正体が見えてきたような気がしたのでうまくいくかどうかわかりませんが説明していきたいと思います。 疑問:  日本という国でなぜこれほどまでにテレビは幅を利かせているのか。 答え:  「国際社会の中では、もはやテレビはオールド・メディアの代表格として捉えられているにもかからず、なぜ日本ではこれほど存在感があるのか」と

      • 「ショムニ」を考える(第三話~第十一話視聴後)

        やはりこのドラマは日本ドラマ史上非常に稀有な存在だと思う。 まず一番の特徴としてチームの重要性を認識していることだろう。互いの弱みを相互補完する形で、互いの強みを作用させるということを自然に行っていることがショムニの成立要件である。 また話型としての特筆すべき点はその落としどころの独特さだろう。 ざっと特徴を並べるとこんな形になる。 →正直さ。素直さ。本音。(明るさ)。無縁主義。 さらに言えばショムニの満帆商事内の立ち位置は一見「汚れ仕事」を押し付けられているだけに見え

        • フランシス・フクヤマの思想-『「世界の終わり」の後で(インタビュー集)』を読んで-

          「歴史の終わり」という書物がある。 1989年に東西冷戦体制が崩壊し、共産主義・社会主義体制が敗れ、資本主義体制が勝利したといわれる。その直後、フランシス・フクヤマは論文「歴史の終わり?」(1989)を発表した。自由民主主義を、政治体制の最終到達点として提起したこの論文は、その後さまざまな憂き目にあってきた。現在では、権威主義諸国の覇権の増大と自由民主主義諸国の覇権の低下によって、その理論は反駁されているかに思われている。 そして巷では国民国家の崩壊が囁かれ始めている。近

        ドグマ化(教条主義化)する現代社会

        • 世界観の強制=テレビというメディアの力

        • 「ショムニ」を考える(第三話~第十一話視聴後)

        • フランシス・フクヤマの思想-『「世界の終わり」の後で(インタビュー集)』を読んで-

          『ショムニ』を考える(第一話、第二話 視聴後)

          皆さんは「ショムニ」というドラマをご存じでしょうか。 漫画が原作になっていたとは知らずに、遠い昔に見た記憶を抱えたまま、ろくに振り返りもせずにここまで来てしまいました。 シーズン1は1998年放送スタート。 今から約25年前、四半世紀前か。 そもそも最近お気に入りの「オモコロちゃんねる」さんでたびたび紹介されていたので、改めて確認してみようと思い、検索してみると・・・ なんとあるではないですか。Youtubeに。 ということで早速第一話「女の墓場 庶務二課」、第二話「今夜

          『ショムニ』を考える(第一話、第二話 視聴後)

          『僕は明日、昨日の君とデートする』を観て感じたこと

          最近はタイムトラベルものが人気なんでしょうか。 なぜタイムトラベルものが人気なんでしょうか。 このことを考えてみました。 ◆時間の逆転について  時間というのは過去から未来へ向かって進み、後戻りできず、取り返しがつかない、というのが通常わたしたちが生きている現実空間での前提です。 しかし、頭の中では、過去が頭から離れないという意味で現在化しており、未来のことで頭がいっぱいになるという意味で現在化していることはご承知のとおりです。つまり思考の中ではすべてが現在化していると考

          『僕は明日、昨日の君とデートする』を観て感じたこと

          仕事辞めて気づいた、人が生きていく上で必要な三つの事。

          こんにちは。 私は先日、会社を退職したのですが、一週間ではやくも精神的に参ってしまいましたよ。 これまでふつうに大学に行き、浪人もせず、とくに就職にも困らずに、ストレートで会社に就職していて全然気付かなかったのですが、退職すると若者であっても本当に、独居老人みたいな暮らしになってしまうんですよ!! っっっと、いきなり分からない表現をしてしまいましたね。 つまりですね。「会話の相手がいない」ということなのです。これにはいろいろ理由は考えられると思うのですが、ざっと挙げると以

          仕事辞めて気づいた、人が生きていく上で必要な三つの事。

          テクノロジーに通じるための仕事

          今の会社で唯一といっていい利点は、技術に関する知見を学ぶことができることです。これからの社会、テクノロジーに通じることは避けては通ることのできない道ですし、それの活かし方次第で、財力も人間関係も大きく変わってくると思います。 ところで、情報コンサルタントという仕事を思いついたのですが、どう思いますか。クライアント(顧客)の関心・悩みに対して必要な情報を提供する仕事、それが情報コンサルタントです。一種の悩み相談みたいなものなのですが、普通の悩み相談と違うのは、その人の生活習慣

          テクノロジーに通じるための仕事

          21世紀に起きる社会の崩壊について

          皆さんすでにご存じかもしれませんが、ここのところ隣人との話題に困ることはありませんか? それもこれもすべては情報格差に大きな原因があるように私には思えます。 過去幾世紀にもわたって、貧困や戦争が人々の主たる関心事であり、それらが社会を崩壊させる契機となってきました。 しかし、今現在進行中の危機は違います。それはインターネットの広がりによりほぼあらゆる人が情報へのアクセス権を有したことにより、もたらされるものです。 これまでの危機とは別種の危機、正しい情報へのアクセス性の

          21世紀に起きる社会の崩壊について

          傷つきやすさと本音と心の平安について

          人はしばしば本音を話したいと言います。 でも、実際のところ本音を話すというのは勇気のいることです。 なぜなら自分の最も傷つきやすい部分を表に出して、コミュニケーションしているように思えるからです。しかし、そのような直接的なコミュニケーション抜きでは、人はなかなか充実感をもって「生きている」とは感じることができません。 現代社会では、誰もが直接的なコミュニケーションに飢えている。 これは真実だと思います。しかしここで恐ろしいのは、そのような心の開示の際に深く傷つけられた(裏切

          傷つきやすさと本音と心の平安について

          計画と偶然と運命の関係-現実の濃度と引力に関する考察-

          人はある行動をとる前に計画を立てるべきだ、というのが当世流行の礼儀であるかのように言われている。物事の原因と結果は一対一に対応すべきであり、われわれはできる限り可能な制御によって望ましい結果を得るべきである、と。 しかし、現実はそのように紙の上の算術がそのまま適用できるほど単純だろうか(それでも、ある範囲で、ある物事に関わる人間の総数が限定されている頃はまだその計画も有効だったかもしれない)。事態のフェーズは変わり、限定性の定義が地域的・時代的なものではなくなり、人々の関心

          計画と偶然と運命の関係-現実の濃度と引力に関する考察-

          断絶の時代と連続の時代

          僕たちはどちらにいるのか。 昨日までの時代か、まだ見ぬ時代か。 昨日までの価値観は崩れ、まだ新しい価値観を人々が信用しきれずに地団駄を踏んでいる夜ふけに、現状への強烈な違和感を感じつつ眠れない人たちがいる。 あなたも、あなたも、そのまたあなたも、そうなのかもしれない。 大人たちはいう。 ああすればいい、こうすればいいと。 子供たちはそれに従い、形ばかりの薄い幸福を得るが、満足できない。 それは結局自分の心に従っていないからだ。 自分の中にある感情に目を向けず、自分の外

          断絶の時代と連続の時代

          個人の幸福感情と経済的価値をリンクさせる

           おはようございます。朝早くからですが、起き抜けに「ひらめき」があったので書き始めたいと思います。  いきなりですが、人はなぜ嫌な仕事を続けてしまうのでしょうか。生きていく、食べていくためのお給金をもらうためでしょうか。家族を支えるためでしょうか。あるいは社会になくてはならない仕事だから、でしょうか。実はあらゆる表面上の理由づけの根底には、経済的背景があると思います。つまり、嫌な仕事は実際(現時点では)経済的価値があるのです。経済的価値があるというのは、ひらたく言えば生活を

          個人の幸福感情と経済的価値をリンクさせる

          『羊文学「OOPARTS」』を論評+小説風に書き下してみた

          Title ~『羊文学「OOPARTS」』にみる~ 時代状況と若者の存在の乖離、そして脱出願望 Caption  なぜ、かつてのような(親世代)のような生き方が私たちにはできないのか。それが現代の若者の最大公約数的な意見としてあるのではないだろうか。そして他方で、これだけ幼少期からいろいろな情報(国際的世界認識)に触れてきたことも、この世代の特徴であろう。そうした環境を与えてくれた大人に対する感謝と、自分たちの理解されない感覚(国際感覚)にや対する深い絶望との、奇妙なアマルガ

          『羊文学「OOPARTS」』を論評+小説風に書き下してみた

          合理的な神秘主義vs神秘的な合理主義

           世の中のすべては合理的に説明可能(言語化可能)である、とする立場を「神秘的な合理主義」と呼び、合理的な世界の根底には説明不可能な(言葉で語り尽くせない)ものが横たわって支えているとする立場を「合理的な神秘主義」と呼びます。これは安富歩さんの著書に書かれてあることです。  なんとなれば、私たちは今目の前にあるもの・形あるもの・明示的なものを「確かなもの」「根拠あるもの」として過信しがちです。しかし、そんな明示的なものたちも、常に変化しており、同じ形を保っているものは一つとし

          合理的な神秘主義vs神秘的な合理主義

          人口構造による変化

          日本の人口構造が大きく変化した地点は2005年である。これは筆者が12歳の頃である。このときから日本の総人口は2004年をピークとした減少を辿り始める。それとともに、根本的な社会の価値転換が始まったのである。思えば、筆者も小学校から中学校に入った2006年と翌年の2007年ごろがいろんな意味でターニングポイントだった時期だった。それらは(当時は)言語化するのがあまりに難しい種類の変化であって、社会も個人も深い傷を負った時代ではなかったか。 おそらくそこで変わったのは意味の変

          人口構造による変化