断絶の時代と連続の時代

僕たちはどちらにいるのか。
昨日までの時代か、まだ見ぬ時代か。

昨日までの価値観は崩れ、まだ新しい価値観を人々が信用しきれずに地団駄を踏んでいる夜ふけに、現状への強烈な違和感を感じつつ眠れない人たちがいる。

あなたも、あなたも、そのまたあなたも、そうなのかもしれない。

大人たちはいう。
ああすればいい、こうすればいいと。
子供たちはそれに従い、形ばかりの薄い幸福を得るが、満足できない。

それは結局自分の心に従っていないからだ。
自分の中にある感情に目を向けず、自分の外側に基準を求めるからだ。

真なるものの、真実性を担保するものは、真なるものの内部にしかなく、その外部にはないと看破した哲学者がかつていたっけ。

あまりの多くの時間が、そのような外部基準による人生設計に頼り、過ごされてきた。それがかつての「連続の時代」の掟(ルール)だった。

そのような人生を歩み、身ごもられた子供たちが、それを党是として無意識の内に前提してしまったからといって、誰を責められるだろう。

しかし、時代は完全に「断絶の時代」に入った。もはや連続の時代に培われた一般性、人間に対する理解、社会に対するイメージは崩れた。

ことここにいたって、まだこの断絶を直感できないのなら、大人たちも子供たちも、そしてそれらから構成された社会も滅びていくほかないだろう。

新時代の直感はいつも理解されず、なおざりにされてきた。
おそらく今度もまた、そうなってしまうのだろう。

社会の動きは遅い。想像できないくらいにとろい。
もはや個人が社会を前に進める外ない。




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