ドグマ化(教条主義化)する現代社会

すべてのルールは書かれたものである。
その書かれた時代状況に特有の使命を果たそうとする。

ゆえに時代状況が変われば、
ルールを上書きするか、書き換えるか、意味付けを変えるか、
いずれかをしなければルールはもはやルールとしての機能を果たさなくなるだけでなく、その組織が果たすべき目的や生む出す価値に対する主要な障害となるだろう。

しかしながら、伝統と呼ばれるものが存在することで状況は分かりにくいものとなる。

・「伝統」とは何であろうか。

「伝統」とは「ルール」のことなのか。
すべての「伝統」はいわゆる因習的で古臭い時代遅れのものばかりなのだろうか。その中にも掬すべき知見はあるのか。

ある個人が何らかの組織に所属する場合に、
伝統や暗黙のルールなしで組織の統制は保たれるのか。
新入りに、そのルールに対して当否の判定を下す権利は保証されているのか。

視点の問題がある。

多くの場合、新入り=学習者としての私は何かを学ぶ際に、
自分の度量衡を「かっこにいれて」、いわば薄氷を踏む思いで事に当たる。
それが意味があるのかないのかよく分らない状態で、先達をみながら真似る。そのような段階では当然、「事の良し悪し」を判断することは難しい。

我々はどこから物事を観ているのだろうか。
内部を生きている人間に「外部の視線」は届かない。この根源的なアポリアに対して、どう構えればよいのだろう。

そんなことをつらつらと思う、今日この頃。

2023/11/23
(ジャニーズと宝塚歌劇団という20世紀~21世紀にかけて日本で成功を収めたビジネスモデルの崩壊を前にして)




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