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一つの出会いが人生を変える|理学療法士から医師を志した理由

理学療法士として大学病院で働く中で、医学部再受験を志しました。

もともと医師を目指していたわけではなく、ある患者さんとの出会いがきっかけです。

生きることと死ぬことに関わっていきたい。

そんな想いを胸に、仕事後のジョナサンというファミレスでコツコツと勉強していました。

ただの自己紹介だけど、一つの出会いがきっかけになって人生が変わっていくことがあるのだという物語です。

5人兄弟の末っ子の僕は、大学で手に職を付けようと理学療法士になるために埼玉県立大学に入学しました。

理学療法士を目指したのは、人に関わることが好きで、誰かの人生に関わることが面白そうだったからです。

理学療法士の仕事は、とても楽しくて、患者さんがよくなっていくことをサポートできることに喜びを感じていました。

患者さんが、リハビリを卒業してからも、顔を見にきてくれるような、人気者の理学療法士だったんですよ。

ある日、とても仲良くなった整形外科術後の患者さんが、リハビリ室に遊びに来てくれて言いました。

「先生、私、ガンになっちゃったの。」

その時のショックがとても大きくて、せっかくリハビリをして手に入れた幸せな生活が、病気によって失われていくのが、とても悔しかったのです。

失われていく命を前に何もできない自分が悔しかった。

命に関わる仕事がしたい。
生きることと死ぬことに関わっていきたい。

という想いを持って、医学部再受験を決意しました。

よく決意したよね!とよく言われます。

ただ、当時は雇用契約が3年だったので、どうせ契約が切れるからと決断しやすかった面もあります。

でも、あの頃は、人生で一番勉強したと思うくらい、必死だったのは確かですね。仕事終わりのファミレスで、コツコツ勉強をしていました。

理学療法士3年目で受けたセンター試験が、かなりいい点が取れてしまったので、大学病院は辞めることにしました。

結局、その3年目は不合格だったので、訪問リハビリのバイトをしながら受験勉強をしました。

この訪問リハビリでの気づきもまた、僕の人生に大きな影響を与えているので、また別に記事を書きますね。

1年間勉強に専念したセンター試験で、オオコケしてしまって、志望校の選択肢がほとんどなくて、富山大学を選んだのですが、その選択のおかげで富山大学に合格することができたのです。

人生、思わぬことが起きて、それがどんなことに影響してくるのかは、振り返ってみないとわからない。

富山大学では、杉森道也という恩師と出会い、そこでストレングスファインダーに出会うことになるのです。

ここまで、読んでくれてありがとうございます。


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