見出し画像

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』を読んで、子どものいない私は「自分の夢」を再確認した

幡野広志さんという35歳という若さでガン患者でもある写真家の方が、自身の2歳の息子さんに伝えたいことをまとめたという本を読んだ。

私はもう40歳を超えているし、結婚も2回目だけど、子どもを持ったことがない。そして、おそらく今後も持つことなく生涯を終えると思う。だからこの本を「親」の目線で読むことはできない。

それでも、読んで刺さったコトバ、今後自分の糧にしたい話がたくさんあった。そして自分の人生、親との関係を振り返る機会になった。だから、それを未来の自分への覚書として残したいと思う。

そして、この記事がこの本を次に誰かが読むきっかけになればうれしい。

「優しい虐待」をしていないか

根拠なきアドバイスは「優しい虐待」

このフレーズがとても印象に残った。

人は(自分ではやらないし、頼まれてもいないのに)よかれと思って、他人にアドバイスしたがる生き物だ。

幡野さんは言う。

理解できないのなら、想像することからはじめるといい

自分ではなく、相手にとってよいこととは何か、相手の立場に立って想像するのが優しさだ。決して、「自分だったらこうするのに」と自分の答えを押しつけることじゃない。余計なお世話ということも多々ある。

勝手に自分の考えを押しつけておいて、それを相手が聞かないとその相手を否定する、というのもまた人間のサガなのだろうか。勝手に否定された気になって、今度は相手を否定してやろうとするなんて本当に身勝手な生き物だ。自分の人生には関係のない他人のことなんか放っておけばいいのに、見ず知らずの赤の他人の失敗や弱さや間違いを使って自分を正当化したり、自己肯定感を充足しようとしたりする。

誰かが失敗して、立ち上がれないとわかってから、安心してさらに叩き続けることもある

この辛さは、きっと叩かれる側にならないとわからないだろう。最近自分にも、人は叩いていいと社会的に認定された相手に向かって急に強気になり、ダメージを与えるつもりで「言葉」を武器に、徹底的に傷つけようとする生き物だと感じることがあった。(メディアという兵器>>

おそらく、正義感を振りかざしているつもりなのだろう。自分が「世間の代弁者だ」と言わんばかりに。

自分もついついtwitterなどで「あれはどうなんだ」「これはどうなんだ」と非難してしまうことがある。けれど、忘れてはいけないのは、言葉で人は「殺せる」ということだ。だからこそ、誰でも発信できる今の世の中、自分の発言には責任を持って発しないといけないなと改めて思う。

根拠なきアドバイスは「優しい虐待」――本当に、肝に銘じたい言葉だ。

優しい人になるために

優しい人になるためには、優しい人といることだと幡野さんは言う。

優しい人といれば優しくなれるけれど、嫌な人といれば嫌な人になるのだ

そして、嫌な人といないこと。嫌な人から逃げることだ、と。

幡野さんがかつて嫌な人と一緒にいて嫌な自分になってしまった時、電話だと奥さんに嫌な言葉をぶつけてしまうため、手紙を送るようになったという話があって、それに対する奥さんの返事の話がまたジンときた。

妻の手紙の最後にはたいてい「帰ってきたら、遊ぼうね」と綴られていた

幡野さんの奥さんは、本当に優しい人なのだなと思った。周りが「(自分が早く死なれたら寂しいから)少しでも長生きしてもらいたいから治療に専念してほしい」と言う中「あなたが好きなことをしたらいい」と背中を押してくれる人。自分にとっての幸せは何かを考えてくれて、それを全力で応援してくれる人。そんな人がひとりでもいれば、その人生は幸せだと思う。

親に否定されたら子どもは絶望する

この話を読んで、かつて就職する時に父親に否定されたことを思い出した。自分がやりたい仕事を選んだら、地元で無料求人誌を発行している出版社で、確かに規模は小さく安定しているとは言い難い会社だった。父親は昔、自分が法律関係の仕事に就きたかったのに家の経済的な事情で高校も中退し、思うような仕事に就けなかったという想いから、自分の夢を子どもである私に託していて、私がそれ以外の進路に進もうとした時、その選択を否定したのだ。

「保証人のサインなんかしない。そんないつ潰れるかわからんような会社に就職させるくらいだったら、自分がどこか法律事務所かなんかに口を聞いて事務かなんかで入れてやるから勉強して司法試験を受けろ」というようなことを言われた。その時の、自分自身の存在まで否定されたような絶望感は、20年近く経った今でも忘れられない。

そして、そんな私を救ってくれたのは、他でもない母親だった。

「あなたの好きなことをしたらいい。お母さんはあなたの味方だから」

人はたった一人でも、自分の選択を受け止めて応援してくれる人がいたら、頑張れる。私は母親がいたから自己肯定感を持って生きてくることができた。結局、父親は保証人のサインをしてくれたけど、それ以降、私は父親を信頼できなくなった。彼が死ぬまでだ。

父のズルい遺言

父親は、10年位前にガンで亡くなったのだが、彼がまだ元気だった頃、最期に言われた言葉は「お母さんとおばあちゃんを頼むね」だった。

その次に会った時は病院のベッドの上で意識がなく、私のことはもうわからなくなっていた。

父親が死ぬと、男の子には、しばしば母親を守る役割が与えられる。
でも僕は、「お母さんを頼むよ」とは言わない。

幡野さんは「息子には自分自身を助けてくれたらそれでいい。」と言う。

私の父親はとても弱い人間だったのだと思う。自分のせいでうまくいかなかった自営業の会社、バブルの時に建てた家のローンはバブルが弾けて返せなくなり、自転車操業で膨らんだ多額の借金。母には本当に苦労をかけていた。そして最期は会社の後片付けもせず、同居していた実母を妻になし崩し的に託し、先に逝ってしまった。だから子どもに、そうした心残りを託していったんじゃないかと思う。けれど、それはとても罪な遺言ではないかと思う。

結局、母親は父親亡き後、そのまま祖母と同居し続け、5年以上面倒を見続けた。近所に父親の兄(長男)がいたのに実母を引き取ることもなく、金銭的な援助もしなかった。とにかく父方の親戚は基本薄情な人間ばかりで、父親の葬式の際もまったく頼りにならず、母と兄と私でなんとかした。

母の強さの秘訣は「なんとかなる」

母親は「なんとかなる」と言う人で、彼女のおかげで、うちの家族はなんとかなってきたのだと思う。そして父親の死後も、年金とパートの稼ぎで祖母の面倒を本当になんとかしてきた。祖母は痴呆になり、何度も徘徊して警察の世話になったし、コンロの火をつけたまま忘れて鍋を焦がし家が火事になりかけたこともあった。最期は病院に入院して、その見舞いもずっと母親がしていた。祖母は、痴呆になって自分の実の娘や私含め孫のことはわからなくなっていったけど、ずっと面倒を見ていた私の母親の名前だけは絶対忘れなかった。それだけは嬉しかった。

母親は、本当に優しい人だと思う。圧倒的に面倒見がいい。それゆえにたくさん損をしてきた人だと思う。けれど放っておけない性分なのだ。困っている人がいたら助けてしまう。でもだからこそ、彼女になんかあったら助けてくれる人が周りにたくさんいる。それは彼女の財産だし、だから私は離れて暮らしているけど安心している。

優しい人といると優しい人になる、は本当にそうだと思う。私は母親のおかげで自分を好きになれたし、人のためになんかしたいと思う気質はきっと母親譲りだ。彼女は私の誇りだし、彼女の子供でよかったと心から思う。彼女に孫を見せてあげられないのは本当に心苦しいけれど、生まれ変わったとしてもまた、彼女の子供になりたいと思う。

自分の夢に笑いかけるために

今、少し迷子になっている。今の仕事を続けていくべきか、新しい仕事を探すべきか、悩んでいる。でも一つだけ確かなことがある。

私が一番大切にしたいのは、「だんなとの生活、だんなとの時間」だということ。それが犠牲になるようなハードな仕事をする意味はない、とさえ思っている。

ライスワークは、時間とお金のバランスをとることが大切だ。

幡野さんもこう言っているが、生活のために稼ぐのであれば仕事はなんでもよくて、休みがちゃんととれて定時に帰れて、そこそこ自分のスキルが使えて世の中の役に立つ自分を実感できればそれでいい。

一方で、明日のライターゼミという講座に通ったことで、そんな自分を否定する気持ちも生まれた。このままで本当にいいのか。もっとチャレンジすべきではないのか。もっと自分を磨いた方がいいのではないか。挑戦もしないでこのままなんとなく生きていくのか、と。けれど、

学校は技術か知識を教えるだけで、何を語るか、何を撮るか、何を書くかという創造的な部分は教えてくれない。

幡野さんも言うようにお金を払って「技術」や「ノウハウ」を学べても、それを使って「何をするか」は誰も教えてくれない。

自分がよく知っているものを、自分の目で撮ってこそ、人に伝わる。

そして、私が考えて行きついた答えは、今いる場所で、今いる人たちのサポートを全力でするってことだ。けれど、今の仕事で、事業の根幹が揺らぐようなことがあったので、何を信じて支えていったらよいのか、という戸惑いが正直拭えないでいる。仕事については、もう少し検討を続けていく必要があるのかもしれない。

いつも自分の夢に笑いかけたほうがいい。

私の夢は、「自分の大切な人を大切にすること」。

そのためには私が自分自身を好きでいられること、健康でいること、毎日を楽しむことが必要だ。それを阻害する要因があるなら、ひとつひとつ対処していかなくてはならない。

だから、仕事も病むようなら辞めた方がいいし、体調が思わしくないならちゃんと病院に行った方がいいし、体力をつけるために体を鍛えた方がいい。やるべきことはたくさんある。下を向いてため息をついている場合ではない。

とりあえず痩せよう。

……だんなとハグするときお腹がつかえてちょっと遠いから。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?