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【原文】富士下山ガイド「富士宮口五合目~御殿場口五合目」

割引あり

標高2400mの富士宮口五合目を出発して標高1400mの御殿場口新五合目へ向かう下山ルート。ここで多くの方が疑問に思うのが同じ五合目なのに標高差が1000mもあること。平安時代末期に始まった富士登山は富士山信仰の一つの形態として「登拝」と呼ばれており、登山の起点となる神社から道が険しくなり馬を折り返した地点とされる”馬返し”までを「草山」、その馬返しから天地境と言われる”中宮”までを「木山」、これより上を「焼山」と呼び聖地へ向かう境界が設けられていた。特に天地境から上の「焼山」は字のごとく火山荒廃地が広がっており、その様相から神の領域として神聖度が高いエリアであった。そして、概ねこの境に現在の五合目は位置する。本コースのゴール地点の御殿場口新五合目は1707年に発生した宝永噴火の影響が未だ色濃く残り、火山荒廃地のエリアが広いため「木山」と「焼山」の境が低い地点に存在している。その結果、五合目が1400mという低い地点となっているというわけだ。噴火の影響と富士山信仰の形態が現代にいたるまでそれぞれの五合目の標高の違いに繋がっているのだ。

標高2400m 天地境から望む雲海

五合目駐車場を東に進み「宝永遊歩道」へ立ち入ると、そこは森林帯である。砂や岩のイメージが強い富士山とはことなり、山野草や森の香りを楽しめる小道を歩くことが出来る。ほんの数十m進んだ左手に大きな岩場が出現する。数万年前の噴火によって噴出した溶岩の堆積である。噴き出した溶岩のしぶき(スパター)が幾重にも積み重なり出来たスパター丘(きゅう)と呼ばれる丘で火口周辺によく見られる。火山としての富士山を最初に感じられる自然景観である。

根元から曲がって斜面に生えるダケカンバの純林

この辺りの森林は「カラマツ」「シラビソ」「ダケカンバ」を中心に構成される典型的な亜高山帯林。厳しい環境であるがゆえ、種類こそ少ないがそれぞれが工夫を凝らしこの厳しい環境に適応した暮らしをしている。この森の一か所に「ダケカンバ」のみが自生するエリアがある。よく見るとほとんどのダケカンバが根元から斜面に沿って大きく湾曲していることに気が付く。いったい誰の仕業か・・・? 犯人は雪である。冬季に降り積もった雪が春になり傾斜に沿ってゆっくりとスライドして下りていく。その際、雪の重みが強い力となってダケカンバを根元から湾曲させてしまう。ダケカンバは湾曲にとても強い性質を持っており、雪の重みに耐えて生きていくことが出来るが、耐性の無い他の木々は根元から倒されてしまう。結果としてダケカンバのみがこの場所で生き残ることが出来たというわけだ。逆に言えばダケカンバのみが繁栄している場所は雪崩が多く発生する場所であると考えることもできる。自然を雄弁に語る植物の暮らしにはいつも感心させられる。

このエリアの雪崩を誘発しているのは大きな谷である。ダケカンバの森をぬけると大地の裂け目が目に飛び込んでくる。八合目直下から続く大きな崩落地で、毎年春先に「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれる融雪による土石流が大地を削り取って流れていく。そこかしこに点在する大きな岩は上方から運ばれてくるもので、地形や景色も毎年少しずつ変化している。雪や氷の塊とともに数百キロもあろうかという岩が流れ落ちていく光景を想像すると自然の強大な力に足がすくむ。長居は禁物である。

八合目直下の火口から続く崩落谷

谷を越えしばらく歩くと突然視界が開け、左手にすり鉢状の巨大なくぼみと、これまた巨大なこぶが姿を現す。宝永第二火口とそびえ立つ宝永山である。1707年12月16日に発生した大噴火は江戸の町まで火山灰を降らせた有史以降最大級の噴火であり、麓の御殿場市、小山町などに甚大な被害を与えたことは言うまでもない。2019年には当時の火山灰に埋もれた家屋が地中から初めて発見され話題を呼んだ。

宝永噴火に関しては「宝永第一火口」にて詳しく述べるとする。

宝永火口の壮大な火山景観

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