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ストーリーテリングの実習を再開しました。

#20240219-359

2024年2月19日(月)
 私は公立図書館が毎週開催している「おはなし会」でボランティアをしている。
 まだノコ(娘小4)が我が家に来る前――里親登録より前にはじめた。

 「おはなし会」は、絵本の読み聞かせだけではない。
 プログラムは、語り聞かせである「ストーリーテリング」と絵本の読み聞かせからなる。
 月1回、図書館司書を中心にボランティアメンバーが集まる勉強会がある。そこでは、おはなし会のプログラム決めとストーリーテリングの実習をする。
 私はノコが委託される前は、実習もおはなし会の当番も積極的に取り組んでいた。だが、ノコと暮らすようになって、実習は休み、当番はノコが優先、都合がつく限りになった。細くとも長く続けたいという私の気持ちをくんで、在籍を許してくださるメンバーの方々には感謝しかない。

 絵本の読み聞かせもその場でいきなりできないが、ストーリーテリングは書物を見ずに物語を語るため、ちょっとやそっとではできない。
 手と心がかかるノコが落ち着いたら再開しようと思っていたが、委託4年にして「落ち着くことはない」と気付いた。少しずつあることからは手が離れるのだが、ちゃんと新たなことが出てくる。たとえば、トイレでお尻の仕上げ拭きをしなくて済むようにはなったが、学校の宿題を見たり、丸つけをしなければならない、などだ。
 とにかく、きりがない。

 子どもに「勉強しなさい」といいながら、親自身が学んでいなければ言葉に重みがないとも思った。
 100回「勉強しなさい」というより、テキストを読み、そらんじては言葉がちっとも出てこないと嘆き、実習を前に緊張でワタワタする姿を見せるほうがずっと説得力がある。
 大変で、頑張ってもなかなかできないが、それでも好きだから諦めずに繰り返す。

 腹をくくって、再開を決めた。
 最初の実習日は、研修会の日にした。
 月1回の勉強会とは別に、年1回外部の講師を招いての研修会がある。自分でもハードルを上げたと思うが、重い腰を上げるのだからそのくらいのプレッシャーが必要だった。
 すき間時間を見付けてはテキストを読み、そらんじた。
 ノコの習い事の送迎時にも、自転車をこぎながら声に出した。ノコのほうが覚えてしまい、私より先に言葉をいおうとしてもだえたりもした。それが正確ならお手本になるのだが、ノコは私の真似をしているだけなので、ちょこちょここまかい部分を間違える。頭が混乱する。
 ノコが寝た後も、TVテレビ画面でゲームをするむーくん(夫)に寄りかかりながら、語る。
 ノコもむーくんも耳にタコができただろう。

 そうして、迎えた実習日。私が1番手だ。
 少し早めに図書館に到着するよう乗るバスを決めた。心と息を整えて、おさらいもしてから臨もうと思ったのに、そんな日に限ってバスが渋滞により遅延。ギリギリの到着となった。
 バス停から図書館まで走る。
 喉は渇くし、息はあがる。心臓がバクバク打っているが、緊張のせいなのか、走ったせいなのかわからない。
 喉を鳴らして水を飲んだところで、研修会がはじまった。

 1ヶ所いい淀んでしまったが、なんとか語りおえた。
 声はしっかり出せた。講師をはじめ、受講生たちの顔も見ながら言葉は出せた。
 受講生たちが感想を発表した後、講師が講評する。
 その内容が濃い。自分の勉強不足をひしひしと思い知る。結構練習したと思ったが、足りていない。練習だけではない。テキストとの向き合いも足りない。ないない尽くしで笑ってしまう。
 ただただ「先生だから」と講師の指摘を鵜呑みにしたくないが、もう本当におっしゃる通りなのだ。ひとつひとつに説得力がある。それだけ真摯に向き合ってきたことがわかる。

 皆の前で語りおえた解放感はすさまじい。
 帰りのバスでは気を抜くと、顔がだらしなくゆるむ。
 課題はたんまり。実習は、次なる課題が明確になる。人前で語ってこそだ。
 帰ったら、ノコに実習のことを話そう。むーくんにも話そう。
 そして、また物語に向かおう。

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