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なぜ難しい言葉を学ばなければならないのか

さて、私は難しい言葉が嫌いです。

リスケとか率先垂範(そっせんすいはん)とかピボットとか。

「じゃあリスケしといて」って言われたら心の中で「カタカナええて」なんて思ったりしています。

しかしそんな私でも最近は積極的に難しい言葉を学ぶようにしています。

その理由は、難しい言葉でしか的確な意味を伝えることができないからです。

カタカナ言葉はこの世から駆逐されればいいと思っていますが(今後使ってる人を見たらキモカタカナの人と呼びます)、昔から使われてる言葉は積極的に学ぶべきだと思います。

そんな難しい言葉を学ぶ意味について考えてみたいと思います。

難しい言葉は的確に意味を伝えることができる

大学生の頃、よく論文や研究成果を読んでいました。

私の場合、卒業論文に代わる単位を取れば別に書く必要がなく、特に論文を読む動機はありませんでした。

ではなぜ読んでいたか。それは完全に私が授業料を全力で回収したい人間だったからです。

せっかく何十万も払ってるのに、大学を使い倒して論文も読み倒さないと損じゃないですか。それくらい私ってケチ極めてるじゃないですか。

端から見れば「論文を読むだけ読んでアウトプット(はキモカタカナなので発信)せずにウンウン頷いてるだけの人」に見えてたかもしれません。

頷き量だけでいくと赤べこといい勝負ができると思います。

うなずき量は半端ない

さて論文を読んでるときの私の考えていたこと、それは「難しくて読めん」でした。

「なんでこんな難しい言葉使うの好きやねん。もっとダジャレとか小ボケとか途中でいきなり小噺とか始めてくれたらいいのに」

なんて思いながら、ただただ難しいモノを読んでるフリをしてました。

授業料をなんとしても回収したいがあまり、無駄に紙とか印刷してましたね。

確かに論文は読めてませんでしたし、内容なんて全く頭に入ってきません。ですが、難しい言葉を何とか理解しようとする姿勢はありました。

例えば包括的という言葉。これは「全部ひっくるめて」という意味です。

似た言葉に総括的という言葉があります。これは「全部ひっくるめて、結論を出す」という意味になります。

論文を書く人になれば分かりやすいのですが、論文を書こうとしたときにこんな疑問が生まれます。

「『全部まとめて』を書きたいけど、『全てひっくるめて』はちょっとカッコ悪いし、『全部まとめて』もなんか違うんだよなぁ。あ!そうだ『包括的』だ。でもちょっと待てよ『総括的』っていう言葉もあるな・・」

なんて、『全てをまとめる』という意味を表現するのに4通りも言葉があることに気づきます。

その中から論文に使う言葉を選ばなければいけません。

じゃあどうやって選ぶか。それは、まず一次選考では論文としてカッコいいかどうか(論文で使われる表現かどうか)。決勝戦では、意味が精確かどうかで選びます。

まず一次選考のカッコいい部門選手権では、前半の二つが脱落します。
『全部まとめて』
『全てひっくるめて』

『総括的』
『包括的』

次に、意味の精確性から行くと、『総括的』が脱落します。
『全部まとめて』
『全てひっくるめて』

『総括的』
『包括的』

つまり『包括的』を使うことになるという訳です。

論文としてカッコいいかどうかについては触れませんが、意味の精確性についてすこし具体的に話をしたいと思います。

難しい言葉は精確な意味を伝えることができる

例えばもし私が「このラーメンヤバい」と言ったらどう思うでしょうか。

このラーメンは美味しいという意味なのか。
このラーメンはまずいという意味なのか。
このラーメンに異物混入の恐れがあるのか。

ヤバいという文字だけではどの意味なのか全くわかりません。もちろん顔の表情やリアクションから推測はできますが、文章だけだと推測できません。

代わりに「このラーメンは美味しさが度を越えている。塩味も丁度いいし、ダシも効いてる。平打ち麺もスープと絡んで相性ピッタリ」だったら、美味しすぎて感動を受けているというのが伝わります。

もし私が表現するとしたら「きょえええぇぇ!こ、このラーメンすごいわぁ。このラーメンファンタスティック。もう名前ファンタスティックラーメンでええやん。もう極み、ラーメンの極み。極めすぎて胃が喜んでる。喜び過ぎて胃から光が放たれるっ」ですね。楽しいです。

つまり文章において意味を精確に伝えるなら、難しい言葉を使う必要があるという訳です。

もし論文でラーメンの美味しさを伝えるとしたら、「当店舗で提供されるラーメンについてアンケート調査(n=1,770)を実施したところ、『非常においしい』が72.8%、『美味しい』が24.9%、『どちらでもない』が1.9%という結果となった」になるでしょうか。知らんけど。

他にも、多面的にとか、重層的なとか、明示的にとか、公平性の観点からとか難しい言葉が沢山でてきます。

それもこれも、論文では曖昧な言葉や抽象的な言葉は使えないからですね。

『論文を書くということ』著・山名 早人
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiceissjournal/25/1/25_10/_pdf

このように難しい言葉を学ぶことで精確な表現をすることができるようになります。

賢そうに見られる

実用的な面でいくとこれですよね。

難しい言葉が言える、書けるようになると賢そうに見られます

例えば新入社員が「~にご尽力いただきありがとうございます」なんて使えたら、「お!ご尽力なんて言葉知ってるんやね」と言ってもらえます(多少茶化されますが)。

他にもベテラン社員と遜色ないメールが書けるようになると、頼もしく見られたり、安心して社外メールを任せてもらえるようになります。

そのためには難しい言葉、ベテランの方が使うような言葉を普段から使えるようにしておく必要があります。

しかし、ここで注意が必要なのは難しい言葉に捕らわれないこと。

あまりに難しい言葉を使いすぎて同僚や上司が理解できなかったり、論理がめちゃめちゃになってしまっては元も子もありません。

あと、使いすぎると「きっしょ」と思われてしまいます。

いざというときに使えるぐらいが丁度いいかもしれませんね。

みなさんも言葉のレンジをスケールして、次のフェーズへステップアップしていきましょう。

「あ、キモカタカナの人だ」

おわり

<今日のクセ強豆知識>

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