いまだに折り合いをつけられないこと
2024年2月15日(木)朝の6:00になりました。
いろいろどうにか受け止めて、落書きのような夢を見る。
どうも、高倉大希です。
主観と客観を、切り分けて考えよう。
ここで言う客観は、その人の主観から生まれます。
事実と解釈を、切り分けて考えよう。
ここで言う事実は、その人の解釈から生まれます。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
哲学者、フリードリヒ・ニーチェの言葉です。
自分がされて嫌なことを、他者にしてはならない。
子どものころに、先生からこう教えられました。
自分は、些細な変化を指摘されることが嫌いです。
だから仮に気づいたとしても、他者の変化について言及することはありません。
自分は、誕生日を盛大に祝われることが嫌いです。
だから仮に誰かが誕生日だったとしても、盛大にお祝いすることはありません。
どうやらこれらのアクションが、この世の風潮とは合致しません。
自分にとっては嫌なことが、誰かにとっては嬉しいことかもしれないわけです。
巷では、細かな変化に気がついて、声をかける行為がよいことだと言われいます。
巷では、誕生日は盛大に祝われたほうが、嬉しいものだと言われています。
自分にとっては、ほんとうに勘弁してほしいようなことです。
それにも関わらず、どうやらこれらを嬉しいと思う人がいるようなのです。
ここの折り合いが、いまだにうまくつけられません。
自分にとって嫌なことに加担するのが、どうしてもできないわけです。
髪を切ったことを、ここぞとばかりに指摘したくはありません。
誕生日を迎えたことを、ここぞとばかりに祝いたくはありません。
自分がされて嫌なことを、他者にしてはならない。
この言葉にどこまでの汎用性があるのかは、いまだによくわかりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。