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誰かのために書こうだなんて微塵も思っていない


2024年4月9日(火)朝の6:00になりました。

目的や理由のざわめきからはみ出した、名付けようのない時間の場所に。

どうも、高倉大希です。




誰かに必要とされたい。

わたしたちは、このような願望をもっています。


誰かが必要としてくれれば、自分の存在意義を実感することができるからです。

言い換えるなら、「そこにいてもよい」という承認を他者にもらいたいわけです。


そうでもしないと、不安の渦に飲み込まれてしまいます。

自分なんていなくてもいいのだと呟きながら、ダークサイドに堕ちていくのです。


「あなたがいないと困る」この言葉は、麻薬だ。組織の中で、「替えの利かない人」は、今の位置にとどまる。「歯車として機能する人」は、人の上に立てる。いっけん、逆だと思ったかもしれない。しかし、残念ながら、これが真理だ。そして、別に、どちらが正解かではない。あなたが、どちらを選ぶかだ。

安藤広大(2023)「とにかく仕組み化」ダイヤモンド社


誰かに必要とされたい。

わたしたちは、このような願望をもっています。


しかしそれが前面に押し出された表現を、嫌う傾向にあるのもまた事実です。

押しつけがましいメッセージには、嫌気がさしてしまいます。


「あなたのため」という仮面を被った承認欲求は、案外簡単に見破られます。

「ありがとう」と言ってほしそうなその顔が、うっすら見えているのです。


いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


だからこそ、誰かのために書くことはやめました。

今となっては、誰かのためだなんて微塵も思っていやしません。


自分が書いた文章には、自分の好みが大いに反映されています。

同じように、その文章を好きだと思ってくれる人がいたらラッキーだ。


そのくらいの感覚で、日々文章を書いています。

おもしろいことに、その方が「ありがとう」と言われることが増えました。


どうして僕らは時に、喜ばれないプレゼントを贈ってしまうのでしょうか?プレゼントは嬉しいもの、良いものというイメージがあると思いますが、僕らの日常を考えると、貰って嬉しいプレゼントよりも、貰って困ってしまうプレゼントのほうがもしかしたら多いと言えるかもしれません。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


相手をどうにか変えてやろう。

そんな思惑が、うまくいくことなんて滅多にありません。


心から本当に、誰かのためになりたいと思っているんだ。

そんな熱量を疑うつもりは、まったくもってありません。


大切なのは、その熱量の伝え方です。

誰かのためを思うなら、なおさらその伝え方には留意しなければなりません。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。