誰かのために書こうだなんて微塵も思っていない
2024年4月9日(火)朝の6:00になりました。
目的や理由のざわめきからはみ出した、名付けようのない時間の場所に。
どうも、高倉大希です。
誰かに必要とされたい。
わたしたちは、このような願望をもっています。
誰かが必要としてくれれば、自分の存在意義を実感することができるからです。
言い換えるなら、「そこにいてもよい」という承認を他者にもらいたいわけです。
そうでもしないと、不安の渦に飲み込まれてしまいます。
自分なんていなくてもいいのだと呟きながら、ダークサイドに堕ちていくのです。
誰かに必要とされたい。
わたしたちは、このような願望をもっています。
しかしそれが前面に押し出された表現を、嫌う傾向にあるのもまた事実です。
押しつけがましいメッセージには、嫌気がさしてしまいます。
「あなたのため」という仮面を被った承認欲求は、案外簡単に見破られます。
「ありがとう」と言ってほしそうなその顔が、うっすら見えているのです。
だからこそ、誰かのために書くことはやめました。
今となっては、誰かのためだなんて微塵も思っていやしません。
自分が書いた文章には、自分の好みが大いに反映されています。
同じように、その文章を好きだと思ってくれる人がいたらラッキーだ。
そのくらいの感覚で、日々文章を書いています。
おもしろいことに、その方が「ありがとう」と言われることが増えました。
相手をどうにか変えてやろう。
そんな思惑が、うまくいくことなんて滅多にありません。
心から本当に、誰かのためになりたいと思っているんだ。
そんな熱量を疑うつもりは、まったくもってありません。
大切なのは、その熱量の伝え方です。
誰かのためを思うなら、なおさらその伝え方には留意しなければなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。