見出し画像

申し訳なさを更新する


2024年6月2日(日)朝の6:00になりました。

しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか。

どうも、高倉大希です。




力不足で、申し訳ない。

小学校の学級担任を務めていたころは、毎年のようにこう思っていました。


べつに、何かがあったわけではありません。

子どもたちは健やかに、次の学年へと進級します。


それでも1年を終える度に、申し訳なさでいっぱいになります。

彼らのためを思うと、本当に自分なんかが担任でよかったのだろうか。


人に本を薦めるのは怖い。人の時間を奪ってしまうかもしれないし、好きな作品を「あんまりだった」ちょ思われてしまうのも寂しい。なにより、勝手にほんと読者を引き合わせておいて失敗するなんて、作者に申し訳ない。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


他の先生だったら、もっとうまくやっただろうな。

卑屈なときは、こんなことも考えます。


だからといって、立ち止まるわけにもいきません。

申し訳なく思うからこそ、よりよい方法を模索します。


よりよい方法があるのに、実行しない。

その方が、子どもたちに失礼です。


僕は〆切に間に合う作家です。理由は、完成品を何度も更新させているからです。「そこまで!」と言っていただければ、そこで区切って提出できます。どこで切っても完成品は完成品です。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


親も、同じ気持ちなんだな。

そんな事実に気がついたのは、もう少し時間が経ってからのことでした。


本当に自分なんかが、この子の親でよいのだろうか。

他の親のもとに生まれていた方が、この子は幸せだっだのかもしれない。


言いはじめたらキリがないことくらい、十分にわかっています。

それでもやはり、申し訳ない気持ちがどこまでも付きまとってくるのです。


いつか「何の問題もない状態」に到達できるのではないかという幻想を抱いているからだ。その結果、目の前の具体的な問題ではなく、「問題がある」こと自体が問題であると感じられ、二重に苦しまなくてはならない。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


申し訳なさを抹消しようと思っても、それは無理な話です。

人間という生きもの自体が、万能ではありません。


わたしたちにできるのはせいぜい、申し訳なさを更新することくらいです。

ひとつの申し訳なさを抱えるのではなく、次の申し訳なさに更新します。


あのときは、申し訳なかった。

そう思えるということは、前に進んでいる証拠です。






この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートしたあなたには幸せが訪れます。