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人を隠すなら人の中


2024年5月7日(火)朝の6:00になりました。

空と地面がある街だよ、育った街とどう違うだろう。

どうも、高倉大希です。




そこにいる人の数が多ければ多いほど、他者の目を気にするようになる。

ずっとそう思っていたのですが、どうやらこれは間違いだったみたいです。


GWの4連休は、東京で過ごしていました。

少子高齢化による人口減少を疑うくらいには、人でごった返していました。


冒頭の二文は、そんな人混みに紛れて思ったことです。

人の中に紛れてしまえば、他者の目が案外気にならないことに気がつきました。


未来へ、或いは過去へ、思考が自由な時代、人が個人個人異なりながら孤独ではない時代へーー真実が存在し、なされたことがなされなかったことに改変できない時代へ向けて。画一の時代から、孤独の時代から、〈ビッグ・ブラザー〉の時代から、〈二重思考〉の時代からーごきげんよう!

ジョージ・オーウェル(2009)「一九八四年」早川書房


交差点では、前から随分と奇抜な格好をした人が歩いてきます。

大きな声で歌っている人もいれば、道端で座り込んでいる人もいます。


そんな人たちが、まわりの人からものの見事に無視されます。

二度見されることもなければ、振り返られることもありません。


なるほど、これがこの街の居心地のよさなのか。

東京に人が集まる理由が、すこしだけわかったような気がしました。


銭湯というのは大勢人がいるけれども、誰とも口を利かなくても別におかしいことはない場所です。見ず知らずの人たちの中で、自分もみんなと同じことをしている。でも、一人でいることができるのです。つまり、大勢の中の孤独ということです、そういう状態というのは安心感がありました。

吉本隆明(2020)「ひきこもれ」大和書房


普段の生活の中でも、とくに人の目が気になる瞬間があります。

それは、歩みを止めて写真を撮る瞬間です。


今となっては随分と慣れましたが、それでもまだまだ気になるものです。

「アイツはあれをいいと思っているんだ」が、意図せず露見するからです。


ミーハーな感じもマニアックぶっている感じも、全部バレてしまいます。

その点、東京で切るシャッターにはこのような気恥ずかしさがありません。


人々は「私」という美術館を作り上げています。「私」の経験という履歴の中から、他者に見せたいもの、魅せられるものだけを丁寧に選別し、ガラスケースに入れた美術品のように展示しています。そして、その展示を見たひとは、自分の持っている美術品と価値を比べてしまう。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


人と人との繋がりは、温もりという文脈で語られることが多いような気がします。

前述のとおり、無視されるという冷たさから生まれる安心感もあるはずです。


みんなちがって、あたりまえ。

みんなちがって、どうでもいい。


二度見されることもなければ、振り返られることもありません。

無視してくれる街での4日間は、とても有意義なものでした。






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