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知り合いにばったり会ったときは何を話せばよいのだろう


2024年8月10日(土)朝の6:00になりました。

知り合いがたくさんいたって、友だちがひとりもいないってことはありえるんだよ。

どうも、高倉大希です。




生活の中に苦手なことが、いくつかあります。

その中でも上位に位置するのが、知り合いにばったり会ったときです。


スーパーで、知り合いにばったり会ったり。

公園で、知り合いにばったり会ったり。


こちとら、なんの準備もしていません。

一体何を話せばいよいのだろうかと、いつも戸惑ってしまいます。


もっとも、偶然を生かすことと、偶然に振り回されることは、似て非なるものであることは、いうまでもないことである。一所懸命に行為してゆくにしろ、どこかに偶然がはいりこんでくるゆとりを残しておくことは、大人であるための条件のひとつといっていいだろう。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


挨拶だけをして立ち去るのも、なんだかそっけないような気がします。

だからといって、天気の話をするのもわざとらしくて嫌な感じだなと思います。


深い話をするような、時間は当然ありません。

世間話をはじめても、切り上げるタイミングに迷います。


数十年と生きてきたはずなのに、いまだに正解がわかりません。

知り合いにばったり会ったときは、何を話せばよいのだろう。


およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。

戸部良一、ほか(1991)「失敗の本質」中央公論新社


とくによくないのが、遠くにいるときからお互いを認知している場面です。

向こうから知り合いが歩いてきているということを、お互いに認知しています。


どのくらい近づいたら、声を出せばよいのだろう。

声を出すまでは、どんな表情で過ごせばよいのだろう。


数十年と生きてきたはずなのに、いまだに正解がわかりません。

遠くにいるときからお互いを認知しているときは、どうすればよいのだろう。


つまり「知っている」とは、それを言葉で言い表せるかどうか。「ここまではわかっている、ここから先はわからない」のラインを把握しているかどうか。わかっている範囲について、きちんと言語化できるかどうか。「知」には能動性が伴うようです。

二重作拓也(2022)「強さの磨き方」アチーブメント出版株式会社


大した話ではないということは、よくよくわかっているつもりです。

しかし、この問題が解決されるだけでも生活が随分と楽になります。


上手な人は、とてつもなく上手です。

キャラクターだとか、性格だとか、そんなもののせいにはしたくありません。


きっと、汎用性のある暫定解があるはずです。

助けてください。






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