謎は人生の必需品
2024年7月24日(水)朝の6:00になりました。
わかっている範囲で生きているから、不自由なんだと思う。
どうも、高倉大希です。
小学生のころ、算数が好きでした。
たし算、ひき算、かけ算、わり算。
次から次へと、わからないものが登場します。
わからないものとの対峙に、とてもわくわくしたのです。
いま四則演算と対峙しても、わくわくすることはありません。
なぜなら、すでにわかっているからです。
乱暴な言い方をするならば、わかったことは用済みです。
すでにわかっているのだから、これ以上に考えることがありません。
わかることは、次なるわからないことに出会うための材料です。
四則演算がわかるからこそ、方程式や関数と対峙することができます。
わかることそのものに、価値があるわけではありません。
次なるわからないものに出会えることに、大きな価値があるのです。
わかることに重心を置いてしまうと、わからないことが苦になります。
どうにかしてわかるようにならなくちゃと、躍起になってしまいます。
ところが冷静に考えてみれば、この世はわからないことだらけです。
すべてをわかり切ることなんて、どう考えても不可能です。
それなのに、どうにかこうにかわかろうとしてしまいます。
わからないとまずいので、妙なロジックを組み立ててわかったことにするのです。
謎は、人生の必需品。
芸術家、横尾忠則さんの言葉です。
わかることに重心を置いていた当時の自分には、見事に突き刺さりました。
人生には、謎があってなんぼのもんです。
無茶をして、わかることを急いではなりません。
せっかくのわからないのだから、じっくりと堪能せねばなりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。