![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143635125/rectangle_large_type_2_9072ab6a421fa003c0753114d6224278.png?width=800)
さよならだけのインターネット
2024年6月11日(火)朝の6:00になりました。
コノサカズキヲウケテクレ、ドウゾナミナミツガシテオクレ。
どうも、高倉大希です。
ぱどタウン、みんなのチャット、アメーバピグ。
Skype、mixi、ニコニコ動画。
わたしたちの青春は、インターネットと共にありました。
それぞれのサービスから得た感動は、かけがえのない思い出です。
顔や名前を出して、発信する。
そんな行為が、死を意味していた時代の話です。
インターネットという情報の海に埋没した学生部の頃、他者の作品は自分の表現の素材なのだという実感が芽生え、自分自身の表現も他者の創作の糧になりえると、自ずと考えるようになった。言葉を紡ぎ、表現を行うことで、世界や他者との関係が取り結ばれる。
基本はみんな、匿名です。
そんな匿名のインターネットにおいて、人がいなくなることは日常茶飯事でした。
毎日チャットで話していた人が、ある日突然いなくなります。
毎日読んでいたブログが、ある日突然なくなります。
それはもう、鮮やかなものです。
村上春樹の小説に登場する人物くらい、忽然と姿を消すのです。
さて、インターネットのディスプレイ画面を見つめている人は、根本的なところで孤独です。乱暴な言い方だということは承知していますが、こんな姿が孤独でないわけはありません。
はじめはそんなできごとを、とても寂しく思っていました。
リアルでは、なかなか起こり得ないことだからです。
しかし、こちらにはなす術がありません。
元気にやっているだろうと、思いを馳せるくらいです。
裏を返せばきっと、インターネットのよいところでもあります。
こちらの都合だけで、関係性を閉ざすことができます。
人間は、誰かとの関係の中で、その人のための分人を常に生み出している。お互いにです。相手の中には、あなたのための分人が生じる。一対のセットとして、言葉や感情のやりとりをしている。個性というのは、だから、唯一普遍の核のようなものじゃないんです。
サービスそのものが、終了した。
時間経過と共に、そんなニュースを目にすることも増えてきました。
さよならだけのインターネット。
そんなインターネットで、いなくならない人になろう。
毎朝6:00に投稿している理由の一片は、ここにあるのかもしれません。
この文章を書きながら、そんなことを思った次第でした。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
サポートしたあなたには幸せが訪れます。