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だいたいはなんでもない日
2024年5月9日(木)朝の6:00になりました。
これが生活なのかしらん、たずねたくなるときがある。
どうも、高倉大希です。
さぞ、刺激的な日々を送っているのだろう。
毎日書いていると、こんな勘違いをされることがよくあります。
刺激的な日々を送っている → ネタが多い → 毎日書き続けられる。
きっと、こういうロジックなのでしょう。
結論、だいたいはなんでもない日です。
働いて食って寝たら、1日が終わります。
今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか。世界をわかろうとする努力は大切である。でもわかってしまってはいけないのである。そこの土俵際が難しい。
SNSの普及によって、他者の生活が目に見えるようになりました。
正方形に切り取られた一部が、その人の全部であるかのような錯覚を起こします。
だいたいは、なんでもない日です。
あなただって、そうであるはずです。
結局はそんな何でもない日の中で、何を考えるかが分かれ目です。
特別なことがなくたって、得られるものはいくらでもあるはずなのです。
僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。けれど、それは違う。僕らだって、普通の人と同じように平凡な普通の毎日を生きている。その日常の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。
何か、おもしろいことが起こらないかな。
これが、かつての口癖でした。
すべては、起こるできごと次第です。
自分の人生であるはずなのに、気がつけば運任せになっていました。
そんなときに出会ったのが、寺田寅彦さんの『柿の種』という随筆集です。
この note のマガジンの名前も、ここから拝借しています。
宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。そうして、ふたつの眼がじいっとそれを見つめていた。すると、土くれの分子の中から青雲が生まれ、その中から星と太陽が生まれ、アメーバと三葉虫とアダムとイブが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。
そこからというもの、たくさんの人の随筆を読みました。
随筆には、その人の視点がそっくりそのまま表れます。
特別な日の、特別なことが書かれているわけではありません。
何でもない日の、何でもなさが見事に書かれているのです。
棄てた一粒の柿の種、生えるも生えぬも甘いも渋いも畑の土のよしあし。
だいたいは、なんでもない日です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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