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伏線なんて回収されずに日常は続く


2024年2月11日(日)朝の6:00になりました。

こんどはこんど、いまはいま。

どうも、高倉大希です。




昔から、ミステリー小説が苦手です。

綺麗なまでに伏線が回収される物語に、嫌気が差してしまいます。


最後の一行で、衝撃を受ける。

どんでん返しが、待っている。


このような触れ込みを見ると、一気に読む気がなくなります。

読み手を欺いてやろうという意志が、どうにも好きになれないのです。


何かをあらわしたいと思っている間はダメなんだ。「あらわれた」というのはいいけどさ。これは難しいですよね、難しいけどおもしろい。だからね、ぼくは、年齢的に長生きしないと損だと思う。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


先日、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』という映画を観ました。

役所広司さんが演じる平山正木の、何の変哲もない日常を切り取った作品です。


映画『PERFECT DAYS』


観終わったときの感想は、「怖くなかったのかな」でした。

映画らしい特別なできごとが、まったくもって起こりません。


ド派手なシーンや手の込んだギミックを、組み込みたくなりそうなものです。

まるでそのような要素を否定するかのごとく、穏やかな日々が続くのです。


世の中のほうは、私のためにあるわけじゃありません。私たちが生まれてくる以前から世の中は先にあります。私の好き嫌いとは関係なく、すでに世の中は存在している。だったら、とりあえず受け入れるしかありません。それが大前提です。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


意味がないものは、いらない。

役に立たないものは、いらない。


わたしたちは、伏線が回収されないと気が済まなくなってきています。

伏線なんて、回収されずに日常は続きます。


すべてのつじつまが、ぴったりと合うことなんてありません。

ぴったりと合った瞬間に、エンドロールが流れるなんてこともありません。


今まで見てきた他人の写真や、聞きかじったことをすべて忘れ、目の前に起きていること以外の意味を全部はぎ取るんだ。できるだけカズトが正しいと思うやり方で、シンプルに撮ろうとつとめる。それが私が考える写真の文学性だ。

ワタナベアニ(2024)「カメラは、撮る人を写しているんだ。」ダイヤモンド社


これは決して、ロジックを放棄しようという話ではありません。

自分らしく生きるだなんて言葉を盾にして、考えることをやめてはなりません。


ここの塩梅が、非常に難しいところです。

わかることなんてないけれど、わかろうとする努力は大切です。


こんどはこんど、いまはいま。

平山さんはきっと今日も、東京のトイレを掃除しているのだろうなと思います。







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