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コスパという貧乏性


2023年9月6日(水)朝の6:00になりました。

コスパ、タイパ、マネパ、スペパ。

どうも、高倉大希パです。




コストパフォーマンスを上げるという考え方は、たしかに大切です。

用いることのできるコストには、必ず限りがあります。


予算も、時間も、労働力も。

土地も、資源も、エネルギーも。


そこに限りがあるからには、効率的につかうことを考えなければなりません。

最小限のコストで最大限のパフォーマンスを、発揮する必要があるわけです。


ムダな頑張りを褒めると、間違った方向に人は進みます。「これさえやっとけばいい」という発想になります。「評価」という仕組みは、それくらい慎重に扱うべきものです。

安藤広大(2023)「とにかく仕組み化」ダイヤモンド社


一方でそんなコスパが、過剰に重要視されているような気もします。

なんでもかんでも、コスパを求めすぎています。


イェール大学助教授の成田悠輔さんが、とある動画の中で「コスパをよくしたいなら死ねばいい」とおっしゃっていました。

言葉が強い分、いつものように賛否両論を集めていましたが、言わんといていることはわかるような気がします。


お金はつかうためにある、という考え方とすこし似ているかもしれません。

コストは本来、かけることが前提にあるのです。


お役所仕事を非効率にしているこれらの規則が、究極的には役人に対する国民の不信のつけを、巨大な無駄を生み出すことで支払っているのです。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


コスパのことだけを考えるなら、登山なんて最悪です。

エネルギーをつかって高いところに登り、エネルギーをつかって降りてきます。


スキーだって、おなじです。

わざわざ時間をかけて高いところに登り、一瞬ですべり降りてきます。


こんなことを言っているとこんどは、マインドフルネスをしてコスパから離れようだなんて話が出てきます。

べつにマインドフルネス自体をわるく言うつもりはありませんが、どうにも極端な気がしてなりません。


僕がいいたいのは、みんな何らかの現実を直視するのが怖くて、それを避けるために生産性やタイムマネジメントにしがみついているのではないか、ということだ。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


すべてはグラデーションの中で成り立っており、唯一の正解があるわけではありません。

それにも関わらず、どちらかに偏ると、まるでそれが正解であるかのように認識されてしまいます。


この世でいちばん美しい色は玉虫色だ。

大学時代の恩師が、口癖のようにいつもこう言っていました。






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