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言わせてあげる優しさ


2024年5月31日(金)朝の6:00になりました。

優しさのない人とは、相手ができないことを求める人です。

どうも、高倉大希です。




完璧な説明をして、聞き手の疑問点をゼロにする。

これが理想だと、思い込んでいる人がたくさんいます。


もちろん、時と場合にはよります。

ただ多くの場合において、疑問が生まれること自体は悪いことではありません。


むしろ、話し手が意図的に疑問の余地を残すことだってひとつの手段です。

ちゃんと質問してくれるだろうと、聞き手を信じて待つのです。


登壇者のなかに、事前に用意してきた話題しか話さない人がいるのです。ぼくが司会として合いの手を挟んだり、観客から質問をもらったりしても、自分が想定した質問でないとごまかしたり答えなかったりする。それではわざわざ来てもらった意味がないのですが、すごく「見えない攻撃」を恐れている。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


聞き手は質問することを通して、その場に自ら参加します。

話し手とタッグを組んで、理解度を高めるわけです。


そりゃあ、話を一方的に聞くだけのときとはわけが違います。

質問したときの方が、自分ごととして捉えられるに決まっています。


話を聞いている途中で、疑問を抱いた場合も同様です。

「後でこれを質問しよう」と思っていた方が、集中して話を聞くことができます。


僕、この手の討論系の授業をすごくたくさんやっているので、得意なんですね。なので、テクニックがあります。どんなにヘボい質問が出ても、何事もなかったかのようにその質問を善意に解釈して、「グッド・クエスチョンですね」みたいな感じにして答える。

瀧本哲史(2020)「2020年6月30日にまたここで会おう」星海社


補足なんかも、よく似ているかもしれません。

担当者に任せたはいいものの、その隣にはうずうずしている人がいたりします。


話し手はついつい、補足させないように全部を話そうとしがちです。

補足したがっている人がいるのなら、補足させてあげればよいのです。


ひとりが全部を話そうとするせいで、むしろわかりづらくなってしまう。

こんなことも、わりとよくある話です。


正しいが満足できない説明。間違っていないが納得できない理由。割り切ることができないのが人間です。僕らの心はそこまで合理的にできていない。僕らの脳が、AIと同じくらい計算論的にきちんと構築されたものであるならば、適切なシステムにやって僕らは救われるのかもしれません。ですが、僕らの脳は進化の産物に過ぎないのです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


自分ひとりで全部をやり切る必要なんて、これっぽっちもありません。

他者の力を借りた方がうまくいくことなんて、この世にいくらでもあるはずです。


自分が困っていてどうしようもないから、力を借りるのではありません。

ひとり分の役割を担った上で、のこりは他者の力を借りるのです。


何も言わせないことが、ゴールではありません。

言わせてあげることも、ひとつの優しさです。






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