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スキの病に冒されて
2024年6月19日(水)朝の6:00になりました。
自由であるためには、尊厳が必要なんだ。
どうも、高倉大希です。
読んでもいないのに、スキを押してきやがって。
スキの病に冒された人から、こんな声が聞こえてきます。
フォロワー欲しさに、フォローしてきやがって。
フォローの病に冒された人から、こんな声が聞こえてきます。
なぜだか、相手も自分と同じ基準でスキを押すものだと思っています。
なぜだか、相手も自分と同じ基準でフォローをするものだと思っています。
わたしたちが<自由>になるための最大の条件。それは、<自由の相互承認>の感度を身につけているということなのです。学校は、この感度をはぐくむためにこそ存在しているのです。
冷静に考えると、全員が自分と同じ基準で動くわけがありません。
営業目的で、スキを押す人やフォローをする人がいて当然です。
そんな行動をとる人がいてはいけない。
そんな行動をとる人がいてもよいけど、自分は嫌だ。
否定しているという点では同じですが、このふたつには雲泥の差があります。
否定には「そんな人がいてもよい」という、前提がなくてはなりません。
「みんな違っていい」は対立を覚悟することであって、「心をひとつに」はそれとは真逆の考え方です。繰り返しになりますが、多様性を心の教育で解決できると信じている教育は乱暴すぎます。共通の目的を探しだす、粘り強い対話の力こそ必要だと思っています。
「いてもよい」の上に否定を乗せて、はじめて議論が成立します。
存在そのものを否定しては、誰も幸せにはなれません。
相手のことを、信じられないと思うこともあるでしょう。
相手のことを、ありえないと思うこともあるでしょう。
ただし、それはあくまでも自分と違うというだけです。
自分と違う人がいることは、極めて当たり前なことです。
「強い/弱い」「善い/悪い」「有る/無い」、すべて、縁しだいで、どんどんかわっていく。自分の「かわらない本質」は成立しない。つまり、不変の「個性」、不変の「性格」、不変の「アイデンティティ」は、ありえないのだ。
いじわるなあの人の、いじわるなところもおもしろい。
ひねくれたあの人の、ひねくれたところもおもしろい。
調子に乗っちゃうあの人の、調子に乗っちゃうところもおもしろい。
頭が堅いあの人の、頭が堅いところもおもしろい。
スキもフォローも、ご自由に。
営業目的、どんとこい。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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