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戻りたい戻れない。。。あの頃にはもう。。。 「#虎吉の交流部屋初企画」

音楽を聴いていると、なぜこんなにも切なさが募るのだろう。
楽しい音楽を聴いている時ですら、切なさでいっぱいになる時がある。

私の人生はずっと悩んでばっかりだった。
明日がずっと続くと思っていたから、悩んでばかりの日々をもったいないと思うこともなく、ただただ時を無駄に過ごしていたような気がする。

この年(人生の約半分)まで生きてきて、急に人生を愛おしく感じるのだから、皮肉なものだ。
若いということはやはり何もかもが若いのだろう。
人生の愛おしさに、全然気付けなかったのだから。

昼間、ふいにとうに亡くなった祖父を思い出した。
母方の祖父だ。
この祖父がおそらく私の母を毒親にした張本人であるのだが。
(祖父も子供達の毒親だったので)
私の中では可愛がってくれた、たった一人のおじいちゃんでしかない。
小学校一年生の夏休み、山奥の母の実家に1週間ほど預けられた。
母は日常の暮らしがあるから、たまには長く泊まらせてあげようと思ったのだろう。

私にとってその1週間は、今でも脳裏に浮かぶ、大切な時間だった。
田舎の家には、祖父とおしゃべりをする為に、お客さんがよく来ていた。
祖父がお客さんと語らっている間、私はいつも祖父の横にちょこんと座っていた。
祖父はとても厳格な人だったが、私を気遣い、飲み物やらお菓子やらを気にかけてくれた。
7歳の子供にとって、おじいちゃんとおじさん達のおしゃべりなんて、全然面白くもなんともなかった。
でも私はおじいちゃんの横にいたかったのだ。

田舎の家の横には牛小屋があった。
確か1頭だけいたのだが、今思えば怖いことだが、私は一人で牛小屋の牛を眺めに行っていた。
藁が山積みになっていて、その藁をおそるおそる牛に向かって投げていた。
むしゃぼる姿を見ると、何とも言えない嬉しさが私の心を包んでいた。

牛小屋の上にはちょっとした作業部屋のようなものがあった。
そこにはよく祖母がいた。
祖母は口数の少ない人だった。
母は祖母から可愛がられた記憶がないと、いまだにぼやいている。
しかし私は祖母から可愛がられた記憶しかない。
祖母はその作業部屋でよく、おまんじゅうを作っていた。
私はおばあちゃんの背中を見るのが好きだった。
初めて手作りのおまんじゅうを食べた瞬間だった。

そんな祖母は私が中学生の時に亡くなった。
新幹線でかけつけた。
祖母が田舎の広い家の一階の端の部屋の奥に寝かされていた。
信じられなかった、おばあちゃんが亡くなったなんて。
私は悲しみよりも戸惑いの方が大きく、母ですら怖がって近寄らなかった、おばあちゃんの眠る部屋に一人でたたずんでいた。
そして、一瞬だけど、私は、亡くなったはずのおばあちゃんが眠る布団が動いたような気がしたのだ。

私は慌てて、多分、母にそれを告げに行った。
しかし、そんな話を誰も信じてくれることはなかった。
私が見たものは何だったのだろう?
おばあちゃんに生きていてほしいと願う、私の心が見せた、幻だったのだろうか。

祖父は大往生をして、百歳で亡くなった。
私がOLとして働いて5年ほど経った時だった。
もう、おじいちゃんもおばあちゃんも亡くなってしまったのだ。
その時、しみじみと感じた。

なぜに今頃、そんな昔のことを思い出したのだろう。
歌のせいかな?音楽とは妙なことを思い出させてくれるものだ。


※決して、明菜ちゃんの歌のパクりタイトルじゃありません。書き終えてから気付くという。。。😅



虎吉さんの企画にお誘い頂き、お恥ずかしながら、参加させて頂いております。
季語は「夏休み」です。


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