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三月書房

その町の本屋さんは檸檬で有名な寺町通りにあった。コアな本好きにはよく知られていた三月書房だ。十坪ほどの店内に一万冊ほどの本が天井まで無数に積まれ、その品揃えも独特だった。

 普通の本屋では見かけないような、人文書、歌集、句集、詩集、ガロ系の漫画、ポップな写真集、哲学書、もちろん文豪の作品もあり、中にはアマゾンでも手に入らないような希少な本もあった。
 ダヴィンチに紹介されていたので、早朝、京都旅行のついでに立ち寄った三月書房に十七歳の私はすぐに夢中になった。名物の宍戸恭一さんがレジ横で、籠の中にいっぱいに積んだ本を買おうとしている、私に声をかけてくれた。

「今どき、京大生でもあまり読まないんだよ。すごいセレクトの本だね。若いうちからこんなに本を読んでいたら、きっと血肉になるよ」

 セレクトの中には哲学者の鷲田清一の本、古典文学を漫画にしている近藤ようこの本(坂口安吾の『桜の満開の森の下』と『夜長姫と耳男』だった)、寺島修司の評論集と中々、書店では手に入らない、三島由紀夫の文芸評論集、最果タヒやランボーの詩集などがあった。
 当時の私は解離性障害を発症し、二年近く閉鎖病棟に入院していた。病棟で何をしていたか、と言うとずっと本を読んでいた。あの頃に読んでいた本と言えば、開高健の『輝ける闇』や宮本輝の『星々の悲しみ』、カフカの『変身』、ドストエフスキーの『地下室の手記』、遠藤周作の『沈黙』……。病棟の窓際には常に二十冊ほどの文庫本が並んでいた。
 病状が落ち着いたときは、朝から本を読んでいた。漫画は山岸涼子の短編集や『日出る処の天子』を読んでいた。あの抜けるような秋の早朝に山岸涼子の『スピンクス』を読みふけった感動は今でも忘れられない。

言葉の力

 解離性障害とは、抱えきれないほどのトラウマが原因で発症する。私の場合は言葉の暴力が主な原因だった。発達障害と診断された私は発達障害の偏見のせいで、解離性障害を発症したのだ。ネット上や本で得た発達障害への偏見や誹謗中傷で十代の私はたくさん傷ついてきた。現在はトラウマ治療である、『EMDR』を受け、診断名は解離性障害から複雑性PTSDとなっているが、それでも、偏見に対してびくびくしている、あの頃の私がまだ、心には残っている。
 今でも、コロナ禍での十代の少年少女たちを見ると、あの頃に味わった苦難を受ける運命が待っていたとすれば、どんな悲しみを抱え込んだのだろう、と思う私がいる。

 進学クラスにいたのに、別の学科に転科させられて、その挙句に別の高校に転校させられて、その高校さえもやめさせられた。将来の夢なんて、とてもじゃないけれども描けなかった。親があまりにも不憫だったから、修学旅行の代わりに連れて行ってもらった京都で宍戸さんから褒めてもらえたのだ。大学だって、本当は行きたかった。好きな勉強をして、サークルに所属して同年代の仲間と交流して、おしゃれなカフェでパソコンを開いてレポートを書いて、教授の興味深い話を聞いてその知識を吸収する。秋めく図書館で蔵書を片端から開いて、本の香りを味わう。

 大多数の若者が大学に進学するにも関わらず、心の底から学問を追求したかった私はそのスタートさえも締め出された。もし、大学で勉強ができるなら授業をさぼって遊びに出かけるなんてしない。幅広い教養を身に着け、いろんな可能性に賭けてみたかった。
 その話を聞いて、そうか、京大生でもあまり本を読まないのか、と正直なところ、思ってしまった。もちろん、読書家の京大生もいるとは思うけれども、その言葉は高校をやめさせられた少女には、暗い迷宮に射し込む一筋の光のようにも感じられた。おこがましいけれども自信にもなった。
 三月書房では、今は亡き思想家の吉本隆明も来店したこともあるという、由緒ある本屋なのだ。宝箱のような三月書房には何度かお世話になった。今の私にとってバイブルのような町の本屋さんである。

灯台の灯

 そんな三月書房も今はない。店長の宍戸さんが亡くなり、長年多くの人に愛された三月書房は惜しまれる中、二〇二〇年の五月に閉店したからだ。
 
 昨今では町の本屋さんが次々と閉店に追い込まれるケースが後を絶たないという。私が住む町の本屋さんも二つの店舗に閉店決定の看板が立っていた。時代の流れとはいえ、さみしいものはやはり、さみしい。
 
 現在、三月書房のシャッターには名物の宍戸さんがレジでくつろいでいる、姿のイラストが描かれている。私はコロナが終息して京都に行ける機会があったらお礼を言いに、また、あの場所へ行こうと思う。
 
 ディープな京都を教えてくれた三月書房。
 私の文学の礎を築いてくれた三月書房。知らない世界を教えてくれた三月書房。どんなに言葉を紡いでもこのご縁を忘れはしないだろう。
 
 地獄だった少女時代、三月書房は暗黒の大海原で見えた灯台の光だった。
 コロナ禍で多くの人が読書の大切さを知った今、宍戸さんが大事に培ってきた言葉の力はこれから、さらに輝きを増すだろう。
 この苦しさは永遠には続かない。
 いつかは長く続いた暗闇のトンネルに進めば進むほど、先に見えた光が強くなるようにこの状況も明るく見えるときが必ず見える。そのときまで私はたくさん本を読もうと思う。
 そう、朝日の下で本を読んでいたあの頃のように。
 大学には行けなかったけど宍戸さんが導いてくれた、本の入り口にあったランプで未来を照らしたい。


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