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名言で勝手にエッセイ 【18】

今回の名言


ニーチェとは別の、神を殺した男、イ(エ)マニュエル・カント。
でも、彼の哲学は道徳哲学って言われるんですよね。
矛盾をはらんでいて面白いです。

ドイツ観念論の大成者の一人(最後の締めくくりはヘーゲルだったそうですけど)の彼が、述べた(とされる)名言を借りてみます。

動物愛好者、愛護団体の人たちは、首がねじ切れるほど頷くかもしれません。

He who is cruel to animals becomes hard also in his dealings with men. We can judge the heart of a man by his treatment of animals.

Lectures on Ethics

試訳

動物に対して残酷に振舞える者は、人の扱いにおいても、同様に過酷になる。我々は、ある人の動物の取り扱いを物差しとして、その人物の核心を判ずることができるのだ。

倫理学講義

訳出にあたり考えたこと


『クリミナル・マインド』とか、サイコパスを描写する海外ドラマや映画における、FBIの知見のベースにも影響してそうな叡智かもしれません。

とはいえ、カントがサイコパスの存在を予見したとか、そういうオカルティックな符牒を持ち出したいわけではないです。

殺人を犯すほど心が不調な人は、小動物を虐待しだすので予兆がある、といった近代的な犯罪心理学や精神医療にも裏付けられる洞察だなあということです。

出典としては、『倫理学講義』という本の中で出てくるそうなんです。

が、先ほど「述べたとされる」という奥歯に物が挟まったような言い方になったのは、彼のお弟子さんたちがノートをまとめあげたものが『倫理学講義』なんだそうで。

我らの先人の用いた便利な一文字だと「伝」ですかね。
伝カント倫理学講義。

つまり、なるほど発言を書き留めているのだけれども、かといって、カント本人による査読とか許可があったわけではないみたいなんですよね。

※ 我が国にも弟子による補正や注釈の例が

比較の視点としてですが。
我が国にもそんな類例が。

日本で一番門徒の多い仏教(ですよね?)、浄土真宗の書物で『歎異抄』ってありますけど、文字通り異説を嘆(歎)いている。

嘆きの主体は、我こそは親鸞の心を真にわかっている(自称?)という、唯円さんですよね。

「親鸞上人(聖人)の没後、教えを間違って広めている奴らに喝!」ってのがあの本ですから…。

ところで、親鸞の思想はまたユニバーサルかつユニークですよね。
島国根性の国から生まれたとは思えない興味深さがある。

例の悪人正機です。
御仏(阿弥陀如来でしたか)は苦しむ凡夫を救うわけでしょ?
でも、善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。

重犯罪者の更生施設みたいな話ですよね?
善人は放っておいても往生できる。
じゃあ、仏の救済ってのは誰のためにあるんだ?
むしろ悪党のためじゃないか?
それを見捨てるやつは、仏をわかってねえ。

あれ、一番門徒が多いはずなのに、今の日本は合理主義的に人を見捨ててますよね?

※ ご参考

なんとURLまで歎異抄を採用。
並々ならぬ入れ込みよう。

締めくくりに


前半に叡智と言って褒めておきながら。

熱を冷ますようですが(汗)、我が国の事例とパラレルに考えた場合、少し眉に唾を付けるほうがいいかもしれないですよね。

単純にいうと弟子の聞き間違いだってありえるし、複雑に言うと、カント本人の講義の意図を外してメモっているかもしれないし。

さらに穿って言えば、物凄く出来の良い弟子の創作かもしれない。

研究者が、「お弟子さんのノート集だ」と言っているのであれば、元来は口頭におけるカントの言葉かもしれないけれど、それ以上は期待しすぎない、読み込み過ぎないという謙抑性も必要なんだろうなと…。


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※2024年1月1日追記


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