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Music × English なエッセイ 【25】

今回の動画


知恵や芸術の女神という名のこのバンドは著名バンドですが、デビュー当時は、クラシックも参照したような複雑な造りの曲を作っていたので、Queenぽいことをするトリオだと評する向きもありました。

結果的に、Queenを想起させたのは初期の初期だけでしたね…😅

Madness

歌詞【抜粋】


今や人工知能が登場して、より一層、この曲のバーチャルっぽさと狂気の兼ね合いは魅力を増している気がします。ある意味、発表当時よりも😅

[Verse 1]

I, I can't get these memories out of my mind
And some kind of madness is starting to evolve, mm

And I, I tried so hard to let you go
But some kind of madness is swallowing me whole, yeah

[Chorus]

I have finally seen the light
And I have finally realised
What you mean

【中略】

[Chorus]

Now, I have finally seen the end 
And I'm not expecting you to care, no 

That I have finally seen the light 
And I have finally realised 

I need your love
I need your love

[Outro]

Come to me, just in a dream
Come on and rescue me

Yes I know, I can be wrong
And baby, you're too headstrong
Our love is...

Madness
by Muse

試訳

僕は、この想い出の塊を頭から捨て去れない
そしてある種の狂気が進化し始めている

それに僕は必死に君を手放そうとしたのに
ある種の狂気が僕を丸呑みにしていく

遂に光明が見えたんだよ
やっと悟ったんだ
君の意味するものを

【中略】
今や…ようやく終わりが見えた
もう君が気にかけてくれるかを期待してもいない
僕が光を遂に見出したということについて
ようやくわかったんだよ

僕には君の愛が必要だと
君の愛が必要だ

夢の中だけで良いから、僕のもとに来てくれ
来て僕を救ってくれ

ああ、わかってる おかしくて構わないんだ
それにベイビー、君は頑なだよな
僕らの愛って…

訳出にあたり考えたこと

唯心論と唯物論

日本でも学生運動の盛んだった60年代末期ごろまでには、大学の自治を体現した学生さんが一定数居て、理論書を読んでいたそうです。大抵はオピニオンリーダーにくっついていく、烏合の衆であったのは今と大差ないかもしれませんが。

オピニオンリーダーをインフルエンサーと置き換えれば一丁上がりです。

ただ、理論的に意見を構築する重みは、影響を与えるだけの者にはありませんよね…😅

何が言いたいかというと当時は、唯物史観(人気者のミスチルでさえも歌っているマテリアルワールド、物質的な世界観)は勝利してなくて、唯心論、つまりマインドの方が物質より優位で先立つんだという世界観があったわけです。結局、負けますけども。

世界は人間が見たいように見て歪曲しているだけであって、ここに見えているものも、(科学的話法か微妙ですが)可視光線で眼球のレンズが甘受できるものだけを見ているだけで、実際の世界は僕らが見ているこれじゃないかもしれない。いや、存在すらしてないかもしれない。

それを喩えて、目をつぶったり、死ぬだけで、世界は消えてしまうだろというものがあります。

哲学だけでなく科学とも結びついてますけど、唯物史観からするともっと残酷でドライで、別にお前が死んだとしても世界は続いていくんだぜということになります、物質ですから。それに耐えられない人が新興宗教とかカルトに逃げたかったのがあの戦後以降のおかしな宗教の勃興を支えてるんじゃないかな。

この歌は、現代的な素材で出来上がってますけども、男女の周りで革命的なきな臭い事態が進行しているという点で、日本だと学生運動や闘争があった時代みたいになっているわけです。ついこないだのアメリカで言えば、トランプにアジテーションされて議事堂占拠しちゃったアホとか。

哲学や現代思想の用語を、流行りの二項対立(バーチャルとリアル)と言い換えるとどうか?


人工知能とか、メタバースとか、拡張現実や仮想現実といったキーワードを無邪気に取り扱う科学者がマッドサイエンティストみたいに見えてくるかもしれません。

精神領域に電気のパルスで入っていくみたいな所業で、映画マトリックスみたいじゃないですか。

いや、茶々を入れすぎかもしれませんが😅、彼らのアタマのスペックの1割くらいは歴史に割いて、過去を知る意義はあるってことです。

結局のところ?


結局、一口に言ってしまうと、彼らの周りで何が起こっていようと、二人だけの思念の中で愛の革命みたいなことが起こっている…こともありうるわけです。

だけど、脳の外の現実(いや現実なんてあるのかな😅)には何も起こらないのなら、他人と共有できる歴史にも記録にも残らないですよね。

唯物史観やリアリズムの支配下においては、証拠による事実認定・他人の評価の総体の中に僕らは生きている。

愛情でさえも証拠で認定されるのだと。
物質的に。

だから、この映像の中の二人は、喧騒の中で超然としているが、現実に結ばれたわけではない(そう見てもおかしくないですよね)。

正反対に、赤の他人でありながら一目惚れしたのを、ツンデレで隠しているだけかもしれない。

または知人ではあるものの、以前は良好だった関係性が、破綻していてもおかしくはない。

全ては仮定的で、保留のままです。

付記: enlightenment のヤバさみたいなことかもしれない


脱線のようですが。😅
上手く上記の理屈と接合できないので、あくまでもパラレルに付け足すものです。

歌詞にある「遂に光を見た」というのは、詩的ながら宗教的であり、同時に、哲学的でもあります。

世界史等でも教わる、例の啓蒙思想が、理性の名を騙りながら、大量の未開人を殺したのと似た、危険なニオイを感じるのです。いや恋愛の話のはずですが。

エンライトメント(暗愚な者に光をあてて救済する上から目線)、みたいにして「愛のなんたるかをわかった」というやつは、洋の東西、時空を超えて悪行をするかもしれない。

つまりですね。その愛(?)を振りかざしてストーキングしたり、ヘイトクライムしたり、リベンジポルノ撮ってみたり、ここまでは個体の話ですが、行きつくとアメリカの銃乱射みたいに大量殺戮をして「これが救済だ」と言ったりする。かもしれない。

自制や自省、自戒しようとしたのかもしれないが、自壊したのかなあ…🥶

程度の大小はあれど、同じ類の、光に同化した狂いかもしれないわけです。
やまゆり園みたいに。
大昔に十字軍が中東までわざわざ出向いて、ムスリムをジェノサイドしたみたいに。

ふと優生思想を得て、仏教でいう悟りのように騙るのだから手に負えません。

それは映像の世紀に入っても、ナチが大失敗しているよ。

この映像の二人は思念の中で幸せそうだから優生思想とは無関係だろうけど、じゃあどういう紐帯で思想的に結ばれたんだろうね。

まさかの恋愛至上主義?


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