キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
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#パウロ
この先も共に行こう〜キリスト教の特徴を考え中〜
コリントの手紙二は、かつて、教会で起こっている問題に提案や助言をしたパウロが、その後にさらにフォローアップしようと書き送ったものと紹介されることが多いです。なんとなくフォローアップという考え方自体が、私にはガッツのある指導者像を思い起こさせるものですが。今回は、その冒頭部分からのお話です。
もっとみる誰々つながりがなくても〜コリントの信徒への手紙一1章から
宗教団体が決して「怪しい」ものではないことを証明するにはどうすればいいでしょうか。「何ら害がない」ということを伝えるには、すでにこの世で承認されているものと同じであるという他ないのかもしれません。
キリスト教会が発行する「自己紹介」で、この教会は〇〇学校と同じ団体に属しています、というのを見て、ああ、こう書けばすでに実績のある団体の関係団体だから大丈夫と思われるということか、と思いました。親し
絶望的世界からの脱出〜救いは0円〜
「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求めるものもいない」と書かれています。これは、詩編からの引用です(14編)。厳密には抜き書きで、この詩歌はパウロの企図とは異なる文脈があったような解釈がなされてきました。
オリジナルの詩編は相当な抑圧下で喘ぐ人々を励まし、希望を捨てぬようにと待望を呼びかける歌です。パウロはこの一部分を引っ張り出して、ユダヤ人もギリシア人も神の前には(平等に)