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口にしてみれば…

この日までアップすることができなかったのは、本当に今、日本社会が直面しているのは日本は排外的な法律を作ってしまい、容易に外国人を差別できるシステムを是とすることにさらに踏み出してしまう恐れがあり、一生懸命にあの手この手でガサガサ動き回っていたためです。アリがライオンに向かうような陳腐なアクションばかりだけど、まだ続きます。

ハードル高すぎ信仰

やはり信仰はどうもハードルが高いです。「教会生活」と呼ばれる「教会での経験値の高さ」を自負する人々の「ありよう」が、「教会外生活(?)」を営む人には「鼻につく」こともあるし、必要以上に華々しく、キラキラに思えるし、同時に近寄りがたい感じが醸し出されていることもあります。それに「教会生活人」は気付けているでしょうか。
「〜さんも実はクリスチャンで」という言葉は、「だからその人が信用に足る」という意味になる経験ばかりをしている人にとっては信じがたいかもしれません。現実には、「〜さんも実はクリスチャンで」は「宗教じみた人でちょっと違う」という意味になることがあります。
信仰はやっぱりハードルが高くなっていると思います。そんなもの必要ないと思っている人にとってはどんなにハードルが高くても構わないのでしょうが、信仰ということを口にしている側からすると、手の届かないようなものを自分は持っていることをひけらかして生きることが「教会生活」だったり、信仰に生きることだとしたら、修正が必要だと私は思います。そんな高みに留まっていることはイエスの宣教とはかけ離れているからです。

創世記3章の告白??

 聖書には旧約聖書と新約聖書が含まれています。旧約聖書を過ちの歴史集の如くに扱うことが多いと思います。しかし、私はそうは思っていません。何を古いと、誰が判断するのか、を問うべきです。イエス以降が新、それ以前は旧、こういうはっきりとした線引きをする力が、人間は死を持って終わり、生きるか死んでいるかだという話を作るのです。

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