マガジンのカバー画像

ぼくが聖書を好きな理由

120
キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
大体月に4本です。 一本200円の記事をマガジン登録で500円でお読みいただける設定にしています。…
¥500
運営しているクリエイター

#フェミニスト神学

礼拝と、平和へのはじめの一歩と 創世記35章1−8節から

礼拝と、平和へのはじめの一歩と 創世記35章1−8節から

礼拝はいい話を聞いてそれを知識として身につけたりすることではないです。礼拝は教養を蓄える場所でもないでしょう。何よりも自分が何も持たないままで、しかし復讐でも請求でもない場に立つことだと思います。

もっとみる
逃げ切ろう

逃げ切ろう

ヤコブはいよいよ、自分が父からの祝福を奪った兄と再会します。この箇所では「順序」にこだわる

もっとみる
返却することよりも次へ渡すことへ〜コリントの信徒への手紙一3章1−9節〜

返却することよりも次へ渡すことへ〜コリントの信徒への手紙一3章1−9節〜

コリントにはローマの解放奴隷たちが多く移住していたようです。コリンとは、南ギリシャ州の大都市でローマの繁栄を象徴するような都市とも言われています。ローマの市民権を持つ人びと、ユダヤの民、ギリシャ人が共生するところでした。その共生の様子は残された史料から想像するほかありません。少なくともキリスト教共同体では、ユダヤの人々とギリシャ人との間には超えられない壁があったことがわかっています。パウロは、その

もっとみる
字句通りに抗って

字句通りに抗って

多くの罪責が女に課せられてきた「歴史」に根ざさない聖書解釈は虚だと思います。最初に野の生き物のうちで、

もっとみる
はっきりと言えない時がもうすぐ来るが〜ヨハネ9章②

はっきりと言えない時がもうすぐ来るが〜ヨハネ9章②

さて、前回はヨハネ9章を読むその前段階として、ファリサイ派のことについて述べました。今度は、このシーンでのイエスと弟子たちの様子から考えてみます。弟子たちは目が見えない人が見えないことを罪のせいだというのです。それは

もっとみる
いのちの水とキリスト教(4・完結)

いのちの水とキリスト教(4・完結)

今回が4つに分けていたお話の最終です。ヨハネによる福音書4章前半をどちらかというと「教会論」的にお話ししてきました。教会ってどういうところなんだろう?それを問うことは自分の頭の中で〜あるべき〜なことを超えていく一つの霊的な活動だと思うのです。大体の教会論は逆に自分の頭の中にあるべきことを形成していく形で紡がれてきたことへの逆ベクトルですね。

もっとみる
いのちの水とキリスト教(3)

いのちの水とキリスト教(3)

シリーズ3回目。
ウィンドウショッピングはお好きですか?
いわゆる商業地区を歩いていくと圧倒されることがあるのです。シュッとしたマネキンが着ている華やかな洋服や、ショーウィンドーに並んだ何を入れたらいいのかわからないほどのバッグ、数百万もするアクセサリーや時計が並んでいます。飲食店が立ち並ぶ街を歩くとぎゅうぎゅうに詰め込まれたように色とりどりのポスターでお得セットが売り出され、中には待ち時間90分

もっとみる
いのちの水とキリスト教(2)

いのちの水とキリスト教(2)

さて、前回の続きです。

キリスト教は、今日の聖書の箇所のように幾重にも折り重なりがあり、正直「なんなん?」と言いたくなる、

もっとみる
いのちの水とキリスト教(1)

いのちの水とキリスト教(1)

 教会に行ったらいい話が聞けて、しかもそれがわかりやすくてストンと落ちるとやっぱり教会に来てよかったと思う人が多いそうです。確かに、わざわざ日曜日の朝に出かけて行ったのに、何やら不思議しか残らないとか、自分が思っていたのとは違うとモヤモヤがおさまらないので、損した気持ちになるのは良くわかります。それを察知した説教者も教会に来続けている人も、できるだけ、わかりやすくしようと言うのがトレンドなのかもし

もっとみる
クリスマスに読みたい聖書の話⑩〜出エジプト記1章〜彼女たちは丈夫ですから

クリスマスに読みたい聖書の話⑩〜出エジプト記1章〜彼女たちは丈夫ですから

ちっとも明るいクリスマス、メリークリスマスには同調できないですね。
 (2023年12月15日(金)キャロリングフォーピースでの「メッセージ」です。ほぼ変更なしで掲載しています。原稿になくて話したのは途中急に思い出して自己紹介をしたところだけです。自分が何者かを全く言わないで話しても伝わらないのではないかと思ったのと、みんなが私を知っていると自負していると思われてはならないとブレーキがかかったから

もっとみる
クリスマスに読みたい聖書の話⑥〜イザヤ書7章10−17節(4)最終

クリスマスに読みたい聖書の話⑥〜イザヤ書7章10−17節(4)最終

イザヤ書7章10節〜17節からのお話の続きです。

https://note.com/figtreegarten/n/n5dde5187066c

前回は「見よ、おとめがみごもって」の「おとめ」について書きました。イザヤがアハズ王に指した「その女」が、誰だったのかは分かりません。その女性が、

もっとみる
クリスマスに読みたい聖書の話③〜イザヤ書7章10−17節(1)〜

クリスマスに読みたい聖書の話③〜イザヤ書7章10−17節(1)〜

アドベント。
今、逃げなければならない人に心を傾けると、今徹底的にこれまでのことを追求し、相手の不義を明らかにしようというミサイルの爆破音ほど下劣なものはないと思います。

もっとみる
聖書は恐怖のテクストでもある②

聖書は恐怖のテクストでもある②

では、前回の続き、「恐怖のテクスト」に関してかつて書いたものの後半です。ちょっと心配事はそうそう、この2016年3月にしつこくつきまとわれた経験があるのですが、またその関係団体からの仕事のオファーがあって私はいいけど、7年経ったからヨベルで呼べると思っているのかな。

もっとみる
ひとりの助かりについて イザヤ書より

ひとりの助かりについて イザヤ書より

イザヤ書後半に収録されている「僕の歌」と呼ばれるものの一つです。

研究とは「面白い」ものです。
49章にある「僕の歌」は一体どの部分までなのかということをめぐり

もっとみる