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クロスオーバーするクラシック音楽と民衆の音楽~②イギリス諸島編

「蛍の光 Auld Lang Syne」のような民謡やバグパイプが、今も王室と国民全体に愛されているように、イギリス諸島の音楽はクラシック音楽とは別の文脈で発展してきました。このような郷土音楽は、世界に先駆けて始まった産業革命と都市化により、どこよりも早くに消滅しましたが、19世紀まで地元のフィドラーやハーパー、パイパーが王侯貴族にかかえられていました(『民俗音楽史まとめ』をご覧ください)。イギリス人にとってクラシック音楽は、大陸の、特にドイツの音楽でありましたが、18世紀には、ダンスマスターがアイルランドとイギリスの両島を忙しく飛び回り、ロンドンにはヘンデルがいて、劇場ではフィドラーがコンサートホーンパイプを弾き、常に新しい音楽と演奏家が紹介される音楽の活気あふれる大都市であったことを忘れてはいけません。


(前編①ヨーロッパ編はこちら。19世紀から20世紀にかけて民族主義を背景にした、ボーン・ウイリアムズなど国民楽派の音楽については、別記事『言葉の起源からたどる民俗音楽』をご覧ください。)


アイルランド

貴族のハープの音楽 Princess Royal

アイルランドの盲目のハープ奏者ターロック・オカロラン(1670-1738年)は、カトリック貴族の後援を受けた最後の時代の音楽家として知られています。彼が作曲した「Princess Royal(プリンセスロイヤル)」という曲は、マクダーモット家の当主の娘のために作曲されたもので「Miss MacDermot」とも呼ばれます。

金属弦を長く伸ばした爪ではじく、昔の失われた奏法でアイリッシュハープを演奏する現在のスペインのハーパーの動画をご覧ください。オカロランの曲は、当時流行していたイタリアンバロック様式ですが、どこかアイルランドの曲調を帯びて聴こえます。

  

ヴァイオリン兼ヴィオラ奏者で作曲家のウィリアム・シールド(1748-1829年)は、この曲をバラッドオペラに採用し、1796年にロンドンの劇場で発表しました。

さらにこの曲は、イギリス、オックスフォードのモリスダンスにも取り入れられます。揃いの白い衣装を着て踊る「プリンセスロイヤル」のモリスダンスをご覧ください。モリスダンスは起源を中世まで遡れるイングランド各地における春の祭事のダンスです。

 

18世紀にはじまったダンス文化

アイルランドでは17世紀後半からフランスとの交流が増え、ヨーロッパから新しいダンス文化が流入します。ダンスマスターがイギリスやフランスからやってきて、今日のアイルランドのダンスが形作られました。新しいダンス音楽は、イギリス支配の中、アイルランドの田舎でブレイクします。

初めの頃は、アイルランドではフランスのメヌエットやコティヨン、ヘンデルの音楽、イギリスのカントリーダンスなどが踊られていましたが、そのうちに、フィドルやパイプ、フルートの奏者によって曲が作られるようになります。作曲された曲は1万曲にも及ぶといわれ、そのうち6千曲が今日流通しています。


イギリス

カントリーダンス

1600年代から、イギリスでは庶民から貴族までカントリーダンスが踊られていました。ジョン・プレイフォード(1623-1686年)は、宮廷や劇場で演奏されていたカントリーダンス曲を『The English Dancing Master』という曲集にまとめます。

イングリッシュカントリーダンスとは、列や円を作って大勢で踊る社交のダンスで、17~18世紀に隆盛を迎え、19世紀半ばまで長きに渡り楽しまれ続けました。ジェーン・オースティン原作の映画『エマ』より、カントリーダンスのシーンをご覧ください。舞踏会で演奏していたのは、ロンドンから雇われたプロの演奏家です。臨場感あふれたカメラワークによって、踊り手と楽団の様子がよく分かります。

 


作曲家が作った曲 Sir Sydney Smith's March

イギリスのオルガニスト兼作曲家のジェームス・フック(James Hook  1746-1827年)が作曲した『Sir Sydney Smith's March(シドニー・スミス提督の行進曲)』という曲は、イギリスの北東部ノーサンバーランド地方の民衆のダンス文化に取り込まれます。

この曲を現在のフォークミュージシャンによるギター演奏でお聴きください。Aパート8小節、Bパート24小節をそれぞれくり返す曲の構成になっています。

 


劇場から民衆の間へ Jenny Lind's Polka

「スウェーデンのうぐいす」と称えられたソプラノのオペラ歌手ジェニー・リンド(Jenny Lind 1820-1887年)は、ロンドンやアメリカなどの公演を大成功させ一世を風靡しました。

アメリカでは彼女を称えて曲が作られ、楽譜が出版されます。この曲は、イギリスとアイルランドで流行していたポルカとして取り入れられます(アイルランドではジェニー・リンドをもじってGlnny Lingと呼ばれます)。ノーフォークのフィドラー、ウォルター・ブルワー(Walter Bulwer 1888-1968年)によって1962年に録音された演奏が残されています。とても可愛いらしい曲ですね。

ジェニー・リンド
1843年にアメリカで出版された楽譜(国立アメリカ歴史博物館蔵)



教会の音楽

ヨーロッパの教会のミサは、たいていプロの演奏家によって演奏されるものですが、イギリスでは、1700年代初頭から1840年前半まで、教区に住む村人によって聖歌やクアイア(聖書の詩編)が演奏されていました。

村人たちが持ち寄った楽器はフィドルやチェロ、クラリネット、フルート、セルパンなどです。こうした楽団は教会バンド(Charch Band)または村の楽団(Village Band)と呼ばれ、音楽教育を受けていない普通の人たちが、旋律をリードするため和声や対旋律を工夫して演奏しました。彼らはそれを村のダンスの演奏にも生かしたはずです。

リハーサルを行うチャーチバンドのメンバー。フルート、フィドル、チェロが見えます。
教会で演奏するのは彼らにとって、とても名誉なことでした。


ヴィクトリア時代の教会バンドを再現するメルストックバンド。こうしたハーモニーシンキングはイギリスの伝統です。彼らはダンス音楽の演奏も披露しています。

モーツアルトの曲、イギリスのワルツ、アメリカの讃美歌

これらのとてもよく似た3曲をお聴きください。1つ目はモーツアルトが1788年に作曲した『ジャーマンダンス(0:40~)』(KV 536, No.2, 'Six German Dances')です。

そして、2つ目の動画は、1800年代半ばにイギリス、サセックス州で曲集の中に見つけられた『マイケル・ターナーのワルツ』です。

3つめの動画は、アメリカで、賛美歌『When He Cometh』として歌われているものです。


スコットランド

貴賤の違いがない音楽

スコットランドのフィドルは、18世紀から1870年頃まで貴族の庇護のもとで発展してきました。貴族のお抱えのフィドラーは、放浪の音楽家や地元の歌や曲から音楽を取り入れ、ストラスペイなどスコットランドの音楽様式で数多くの曲を作りました。

野外でのダンスの演奏をする宮廷のフィドラーのニール・ガウとチェリストの兄
(スコットランド国立美術館蔵)18世紀


ストラスペイ王、J.スコット・スキナー

J.スコット・スキナー(James Scott Skinner 1843-1927年)は、フィドル一家に生まれ、兄からフィドルの手ほどきを受けます。その後、地元のミンストレルの庇護を受け、ダンスと音楽をマスターします。

孤児となったスキナーは10代の頃、慈善事業の一環であったジュニアオーケストラに入り、そこでフランス人ヴァイオリニストからクラシックヴァイオリンの訓練を受け、読譜と記譜について学びます。彼はキルトを着用してバッキンガム宮殿やロンドンの劇場でスコットランドの音楽を演奏し、ロマン主義時代のスコットランド民族のイメージを体現しました。彼が作曲した曲は800曲にも及びます。

自身が作曲した曲を含むスキナーの演奏による録音です。クラシックヴァイオリンに裏打ちされた高度なテクニックは、アイリッシュフィドラーたちにも大きな影響を与えました。

ヴァイオリニスト、メニューイン

著名なヴァイオリニスト、メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999年)は、後年にアメリカからイギリスに移住し、スコットランドの人々が育んできた豊かな伝統のヴァイオリン音楽に惹きつけられます。

 
メニューインが演奏してるのは、スコットランドの作曲家ニール・ガウ(Neil Gow 1727-1807年)の曲です。また、彼はこのような序文をスコティッシュフィドル曲集に寄せています。


「この音楽は、すべての音楽の起源が私たちの鼓動と声の中にあり、・・・文化と音楽的な暮らしのまさに源にあり続けなければならないことを生きた形で証明しているのである。本物のスコティッシュフィドラーは、絶対的なリズム感を持ち、決して音を外すことはないし、学校で学んだ者よりも独特で比類のないスタイルの達人である。私たちクラシック音楽のヴァイオリニストは、オーケストラと一緒に演奏し、指揮者の言うことを聞けるようになるために、明らかに多大な代償を払っている。」
                      ーユーディ・メニューイン


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お薦めの本や曲集:

民俗音楽についての特集号!私もアイルランド音楽について寄稿しています。ぜひ、本記事と併せてお楽しみください。


19世紀になると急速に消えて行ったヨーロッパのダンス文化は、アイルランドで生き残りました。著者の訳書になります。アイリッシュの名曲を、どうぞ、お楽しみください。


明るく、強く、時に優雅なイングリッシュチューンはいかがですか。『フィドルが弾きたい!』と同じ著者のイギリス名曲集です。本文中で触れた「マイケル・ターナのワルツ」や「ジェニー・リンドのポルカ」も掲載されています。


参考文献:

寺本圭佑 民謡のナショナリティについての一考察 ―― “Princess Royal”の起源をめぐる英国、アイルランド間の論争を例に

福岡正太『民族音楽学におけるポピュラー音楽研究の動向 』1997

秋山 龍英 『民族音楽学の諸問題』1978 

小島美子『民俗音楽学と音楽史学』1990

James Hunter’s The Fiddle Music of Scotland, Edinburgh, 1979

Routledge and Kegan Paul, Donal O'Sullivan Carolan, The Life Times and Music of an Irish Harper, 1958

Allen Feldman & Eamonn O'Doherty, The Northern Fiddler, 1980






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