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言葉の起源からたどる民俗音楽

民俗音楽について、「本物(本流)」や「偽物(亜流)」といったことがときどき話題になります。何をもってそう言えるのか、そもそも音楽の定義はどのようになっているのか、言葉の起源からひもといてみたいと思います。                         


民衆の音楽が「発見された」19世紀末

文化(culture)というのは教養ある階層に限られたもの、とされていた時代が長く続きました。

19世紀末になると、イギリスやヨーロッパの多くの国で、国民性や民族性といったものが芽生え始めます。近代ナショナリズムの興りですね。都会や外国の影響を受けていない、純粋な田舎の農民によって作られた民謡こそ、真にその国の民族性を保持していると考えられ、にわかに民衆の音楽が注目されます。

1870年には『オックスフォード英語辞典』に「民謡 folk-song」が初出します。1950年頃から、「伝統音楽 traditional music」という言葉も生まれ、歌と区別して器楽曲を指すようになります。

(時代や国により、民謡の歌詞や旋律、または器楽曲のどれかをより重んじる傾向がありましたが、ここでは、民謡と器楽曲を区別せず「民俗音楽 folk-music(人々の音楽の意)」として話を進めます。)


民俗音楽研究のはじまり

19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスとヨーロッパはロマン主義の時代でした。ロマン主義とは、人間の自然な本能を重視して、人と社会を観念的に理想化する考えです。

農民が受け継いできた音楽を国民の遺産とみなすことを、音楽の国民主義といいます。国民感情を共有するものとして、民俗音楽に自国のアイデンティティを求めました。

アイルランドやイギリスではバラッドや民謡が流行し、ドイツ、ロシア、ハンガリー、イギリスなどでは、クラシック音楽の作曲家たちによって、民俗音楽を素材とした音楽芸術が創作されました。それが国民楽派と呼ばれる音楽です。


知的階級層から見た民俗音楽の姿

さて、ここまでお話してきて、もっと以前から人々の間で音楽が楽しまれてきたはずなのにおかしいな、と思われたのではないでしょうか。

それは、「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」というのと同じで、歴史を記す側の民俗音楽の見え方だからです。インテリ層は、近代文明の穢れを受けていない農民が、本能の発露によって「真の芸術」を生み出していることを発見したのです。

都会の知的な人々から見て、教育を受けていない人が作曲したり、聴き覚えよって音楽を習得する方法も、どこか神秘的に映りました。社会の急激な工業化と都市化に伴って、民族の遺産が消滅の危機に瀕しているとして、当時の研究者たちは、音楽の蒐集、記録、出版を精力的に行ったのです。


国際学術会議で民俗音楽の定義が採択

2つの大戦が終わり、再び民俗音楽は脚光を浴びます。1954年、ブラジルで「国際伝統音楽会議 International Council for Traditional Music 」という学術会議が開かれ、先に述べた階級意識や、政治色を取り払った民俗音楽の定義について話し合われます。採択された次の三つの要素は、現在も広く受け入れられています。

他のどのジャンルの音楽もそうであるように、国、国籍人種言語などによって音楽が規定されないことに着目してください。

【民俗音楽の3つの定義】

「継続性 continuity 」・・・現在を過去と結びつけている連続性を有すること。

「変異 variation 」・・・記譜によらない口頭伝承により曲が変化していくこと。したがって、曲には決定版がないこと。

「選択 selection」・・・コミュニティにより曲が取捨選択されていくこと。その結果により地域性が形作られること。


私たちも陥りやすい「過去のエリートの誤解」

伝統というからには、その伝統は「純粋」なものであると信じて、「本物」と「偽物」、「古いもの」と「新しいもの」を区別しなければ、と思っていないでしょうか。

音楽を国家や民族に強く結び付けて考えてはいないでしょうか。

遠い国の文化を神秘とみなし、こうあってほしいという理想を当てはめていないでしょうか。

私たちが民俗音楽に抱きがちなこうした思い込みは、実は、昔の知的階級層が抱いたものと同じ、と現在の学者は注意しています。自身と対象となるものの文化的距離が大きいと、こういったことが生じやすいそうです。

自分のものでない文化をフラットな位置からありのまま理解する、ということは、それを習う者にとって常に心がけておかなければならないことだと分かります。


音楽史は複雑で、起源も多様

拙記事『アイルランドの民俗音楽の歴史』を読んでもらうと分かるように、民俗音楽は歴史もとても複雑で、起源も多様な、文化混交によってできた伝統(mongrel tradition)です。

かつては限られた地域のものだった民俗音楽は、今では、いろいろな場所で、国籍もさまざまな人たちよって楽しまれています。音楽の定義をきちんと理解することで、思い込みを捨て、肩の力を抜いて、外国の文化を楽しんでいきたいですね。


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トップ画像:民俗音楽の研究者セシル・シャープ(1859-1924) はアメリカのアパラチア地方に出向き、イギリスの古い民謡を記録している場面です。(EFDSS,The Vaughan Williams Memorial Library,Browse Archives, Cecil Sharp's photo collections)

セシル・シャープは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスの民俗音楽の蒐集、記録を行い、民俗音楽研究の先駆けとなりました。本文で取り上げた現在の民俗音楽の定義は、彼の研究が引き継がれたものです。当時、階級意識は誰もが持っているものでした。シャープのような研究者たちの熱心な活動は、民俗音楽への人々の関心を引き起こしました。アイルランド音楽についても同じ頃、ハープ音楽の記録やダンス曲の記譜と出版が行われたものの、一般の人々が関心を寄せるようになるのは、もっと後の1950年代以降になります。


動画紹介

イギリスでは、第一次フォークリバイバルと言われたこの時期に作られたイギリスの作曲家ヴォ―ン・ウイリアムス(Vaughan Williams 1874-1958)の 'English Folk Song' Suiteを一度お聴きください。当時の作曲家は、民族主義の高まる中、フォークソング精神を昇華させてクラシック音楽を作りました(ドイツのワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を代表とする、こうした音楽は国民楽派と呼ばれます)。ウイリアムスがピュアな自国のものと考えたこうした素材も、いろいろなものが交じりあってできた伝統なのでした。


参考文献

The Encyclopaedia of Music in Ireland 『アイルランド音楽辞典』ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン / アイルランド国立大学ダブリン校(UCD)編集 2013年。

Pete Cooper, "English Fiddle Tunes", 2006, Schott

Edited by Roger Trim "The Musical Heritage of THOMAS HARDY Volume1", 1990, DRAGONELY MUSIC

"The Dorchester Hornpipe", 1997, Dorset Country Museum, Dorchester

Francis O’Neill. The Dance Music of Ireland. Waltons.(1907).

Brendán Breathenach. Ceol Ronce na hÉireann 1,3 . An Gum. (1963).

ブレンダン・ブラナック(竹下英二訳)『アイルランドの民俗音楽とダンス』
全音楽譜出版社 1985年

奥坊由紀子『レイフ・ヴォーン・ウイリアムズの国民音楽観ーフォークソングによるイングランド国民性の表出ー 2016 Core Ethics Vol. 12

桜井雅人『セシル・シャープの民謡観について』一橋論叢 第八十八巻 第六号(102)

潟山健一『民族音楽への視座ーセシル・シャープの立場性』2008年 同志社女子大学 学術研究年報 第59巻

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