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真夜中の散歩中に見たもの(ドストエフスキーと貧困について)

(読まれる方にとって不愉快な表現が多々あると思います。ごめんなさい)

 ドストエフスキーの描く街の雰囲気が好きだ。
 たしか高校生の頃だったが、ドストエフスキーの「罪と罰」や「悪霊」に出てくるペテルブルクの描写に「リアルだ」という感じを味わっていた。
雨が上がったばかりの路上の油臭さとか、家の前に捨てられた卵の殻のわきを鼠が走っていく描写とか、場末の酒場で汚いおじさんが演説しているときのどんよりした空気なんかを「リアルだ」と思っていた。
この感触を手がかりに、常に他の文学作品と比較して、勝手に気にしていた。「リアルな街の臭いがするかどうか」を見るのにペテルブルクが一個の指標になっていたわけだ。

        1991~2010前後


 小学生のころからいじめに遭っていた。高校生になってもいつまでもいじめられっ子だったので、筋金入りなのだと思う。10年以上いじめられっ子を続けるのはしんどい。苦しいことだらけの日々を過ごすなか「癒し」や「明るくポップな世界」が嘘っぽく見えていた。だからペテルブルクを見て現実の正体を掴んだように感じたのかも知れない。実際、読まれた方はわかると思うがペテルブルクには「リアルな迫力」がある。ロシア正教と異端信仰のぶつかりあいが起きたり、都市と自然が混じった異様な熱気ある街だった。

 ゴキブリの出るラスコリーニコフの部屋が自分の部屋より自分の部屋らしく感じたし、浮浪者のたまり場の橋、犯罪者や飲んだくれのたまり場の酒場は、自分の将来になんらかの形で繋がっていくように思えた。

 現実では学校で蹴られて帰って来て自宅ではネットで中傷を受ける「往復生活」の日々だった。僕は現実の生活とペテルブルクが混然一体になったような、錯覚に満ちた青春を生きた。
 当時、僕は自分の家と学校のある地域じたいが大嫌いだったのだが、ペテルブルクのことを考えながらだと夜に一人で散歩することが出来た。いわば相対化である。自宅周辺をペテルブルク的だと思い込むことで自分を守っていた。どちらが現実でどちらが小説なのか区別がつかなくなるほど念じていた。恐らく、過酷なロシアで生きていく主人公たちと人間として繋がっていたかったからだと思う。


 しかし夜の散歩の習慣がつくと、いつからか、僕の地域は通っていた学校のある付近以外は閑静だったとわかってきた。
 なんだ、意外とちゃんとした普通の街に住んでるんじゃないか。

 この頃、僕の住んでいた街が、僕の思うよりはるかに普通だとわかってきた。ペテルブルク的だと思っていた路上はきれいに整備されていた。僕の部屋は母親が掃除してくれるおかげで塵一つ落ちていない、迫力もリアリティもない部屋だった。学校の同級生にも「何かあったら相談に乗るよ」と手を差し伸べてくれる子が何人もいた。気持ちがすっきりしたような、逆に何か一人で取り残されたように感じつつも、僕はまた自宅と学校の往復生活を続けていく。
 (それでも僕は現実の世界をペテルブルクに引き寄せようとして不登校になり病院送りになるのだが、これはまた別の話だ。)


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 これは単なる昔話ではある。単なる思春期の熱病でしょう?と考える読者もいるだろう。
 ただ、あの時期ほど真剣に自分の住んでいる街のことを考えたことはなかったと思う。今の僕にとってもあの当時の思いは現実だった。

 1991年生まれの僕の世代は物心つく頃から「もう日本は終わった」「チャレンジするな」という情報を耳に注ぎ込まれてきた。反抗するのはむしろ馬鹿げているという諦念にも漬かりきっていた。なんの知識もない学生の頃から公務員を目指す安定志向の同級生が多かった。リーマンショックや派遣切りの被害にあった先行世代の悲惨な実情をニュースで見ながらも、人間同士で助け合おうという気もない。薄暗いヴェールに覆われた空気が蔓延していた。学校で殴られ蹴られても、それが現実社会の悲惨さに結び付かず「まだまだ甘い」と切り捨てられる。学校といつか行くことになる会社しか知らず、そんな2つの価値観のあいだに引き裂かれ、曖昧な夢を見続けながら、しかし言葉だけでなんとか現実と渡り合おうとした時期だった。ドストエフスキーの小説を現実に引き寄せようとしてきた僕の努力は、30歳になった今になって思えば、何と何を繋げようとしていたのかよくわからない。そんなことをする必要はなかった。僕の狭い世界の外は既にドストエフスキー的だったわけだ。


 場合によってはその努力をストレートに「中二病」だと考える読者もいるかもしれない(というか、結構いる)。しかし生意気に反論させてもらうと、祈りや逃避によって、現実の人生を生きていく準備をする時間をもつのに、本当は年齢は関係ないんじゃないかと思う。そんな風にドストエフスキーによって人生が律された瞬間が僕にはある。そして同じように感じる読者が世界中にいるのではないだろうか。

           2021


 30歳になって(少なくとも当時よりは)、視野は広がった。趣味で建築や街づくりについて研究したりすることが増えた。しかし、その観点からペテルブルクを見ることはない。今は自分の住んでいる街を愛している。

 生きていくうえで街を考えることは物件の賃貸料や工法を考えることになった。プラットフォームの画面越しに集客率を調べているときに、「街を調べている」と感じる。流行を考え、趣味で建築デザインを観察したりもする。当たり前だが他の街とのあいだを移動もする。

 それが物足りないとか軽薄であるとは全く思わない。しかし切実に「リアルか?」と言われると何かが違う気がする。自分の世界が広がった今ドストエフスキーを読んだら、ペテルブルクはどんな街に見えるのだろうか。

いまドストエフスキーを読めば、そこには恐らく念入りに描かれた貧困を僕は読み取るだろう。現代にも貧困があり、経済の課題は重要だからだ。しかし、現代の人のお金との付き合い方は決してドストエフスキー的ではない。2021年は決してドストエフスキー的ではないのだ。


がぞう


 お金を考えることと血の滲むような努力が隣り合わせだったのがペテルブルクだ。日々の生活を考えることが愛や神と結びついていた19世紀から、現代は、お金を考えることがスマートで先進的で知的だと看做される時代になった。仕方ない問題だろうか?あるいは非難すべき拝金主義だろうか?

 この変化にかかった時間は僅かしかない。テック企業が流行ったり小学生が投資を始めたりしている時期、僕は何をしていたのだろうか。少なくともドストエフスキーは読まずに本棚の奧にしまいこんでいた。この間に何があったのか。それを文学的想像力で説明できるか。最近はそのことを考えている。


 
 

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