🌿

深夜に語りがち

🌿

深夜に語りがち

最近の記事

ピンクのねこ

あるグループが心底嫌いだった。 大好きなグループのパクリ疑惑の印象しか無かった。最近人気が爆発しているようで、 インターネット界のプリンスなんて言われていて 正直気に食わなかった。 私の好きな人達の方がキャリアも実力も上なのに いきなり出てきたお遊戯会のような人達が どうしてこんなに人気があるんだと 毎日イライラしていた。 本人たちだけではなくファンも嫌いだった。 精神年齢が低い人ばかりで民度が低いし、 すぐ炎上するし盲目すぎて見てられない。 何より私の好きな人たちに悪影

    • 優しさと思いやりのパワー

      私の地元で唯一のO高等学校が 、2026年度に隣町のF高校と統合され、校舎がF高校へ移動となることが決まった。 生まれた時から当たり前のように目にしてきた緑色の校舎。賑やかな高校生。 それらが町から消えてしまうことに、言葉では表せない悔しさと悲しさを覚えた。 弟が現在O高校に通っていることもあり、3月末に帰省し家族に会った際もこの話で持ち切りだった。 私の故郷は、人口が約1万人ほどの小さな町だ。 住民同士の距離がとても近いため、住民全員が大家族のように繋がりが深いところが

      • 大嫌いなはずだった

        このタイトルを見て既視感を覚えた人も多いのではないだろうか。 某有名ボカロソングのタイトルをパクったのだ。この曲を歌っている声優さんがとても好きでよく聞いている。 今回の内容はそんな甘酸っぱいかわいい話では無いのだけれど。 突然で申し訳ないのだが、私はお風呂が大嫌いだ。面倒なのは勿論、ドライヤー合わせて45分は時間をドブに捨てるようなものだし、腕は疲れるし鏡を見ても悲しくなるし、女の子は工程が多くて大変だし、人生で1番無駄な時間だと思っている。お風呂に入らなくてもいい世界に

        • 20

          保育園の頃から、黄色い振袖を着ると決めていた 髪を茶色くして白い髪飾りをつけて成人式に出て 地元の広報の表紙に載りたかった 田舎の成人式は赤の比率が異常に多いから 赤だけは着ないと子供ながらに決めていた それから15年後の私は 真っ赤な振袖を着ていた お母さんが25年前に着た振袖 襦袢と足袋は叔母と親戚が成人式で着たもの 髪飾りには両親の結婚式の時のブーケ 祖母が髪飾りにリメイクしてくれた 親戚が成人式で付けていた髪飾りも借りた。 家族みんなから 少しずつ分けて

        ピンクのねこ

          お父さんの話

          うちのお父さんは素直じゃない いつも素っ気ない そんなお父さんは何かしらの節目の時、 ごくたまに ちょっと嬉しいLINEをくれる ツンデレなのかな、なんて思う 面と向かっては絶対に言わないけど 大きな節目のときだけ、 素直じゃないお父さんにしては ちょっとらしくない言葉をくれる 中学卒業のとき、初めて長文のLINEをくれた 「自慢の娘」という聞きなれない単語に 思わず目頭が熱くなった 高校合格時には 「まあ俺の娘だからな」 なんてサラッと言っていた 大学入学時

          お父さんの話

          金環日食の指輪はどうしたらいい

          「金環日食の指輪はどうしたらいい?」と聞きたい 心にぽっかりと穴が空いたような気分だ。 好きでもないコーヒーを飲んだ。 バイトで余ったからと 意味もなく持ち帰ってきてしまったものだ。 案の定瞼が重力に負けることはなく、 むしろ逆らうことに何の苦も感じない。 こんなに眠れない夜はいつぶりだろう。 眠れないのではない、眠りたくない。 こんな穴が空いた状態で寝てしまったら、 明日を迎えることに、 大きな罪悪感を感じてしまうから。 明日なんか来なければいい。 一生、2月1

          金環日食の指輪はどうしたらいい

          隣の芝生が青すぎる

          きっとここまで尊敬できる人は 後にも先にもいないと思う 似た目標を持っていて 常に私の先を行く人 こんなに敗北を感じたのははじめてだし こんなに私の持っていないものを持っている人も初めてだった 私が持っていないものは彼が持っている 彼の持っていないものは私が持っている そういう関係がとても居心地がいいし 自分のモチベーションになる どう頑張っても追いつけないのに、 追いつけないことがくやしくてたまらない 今まではそんなこと無かった 誰かと比べては自分は駄目な人間だと 頑

          隣の芝生が青すぎる

          大好きな日を伝える

          真冬の早朝5時半。まだ日が出ていないこの時間の部屋の温度は当たり前のごとく氷点下。毎日乗るのは6時半の電車。乗り過ごしたら1時間後だ。世界で1番重い扉を開いて、高校時代の私の一日は始まる。 2021年9月11日 そんな真冬の高校時代と似たような気持ちになり、なんだか懐かしさを覚えている。 4年間断固として外さなかったInstagramの鍵を外したのである。 重たい扉を開いた。そんな気分であった。 投稿に自分の顔を大々的には載せないようにしていた。なんだか恥ずかしいし、プ

          大好きな日を伝える

          武器を持ってもちっぽけでしかない

          私はことごとくずるい人間だと思う。 私には夢がある。 自らが持っている夢が誰かに劣っていると思ったことはない。 と言いたいが、私はそんなに強い人間ではない。 本当に私の夢は夢と言っていいものなのか。 あの人の夢の方が私の何倍もしっかりしている。 私よりもはっきりしたビジョンを持つ人は数多といる。むしろ私以下の人なんて世界中どこを探してもいないのではないかと思ってしまうくらいには、ネガティブだ。 尊敬する人がいる。 1人ではないが、その中でも私の人生に大きな影響を与え

          武器を持ってもちっぽけでしかない

          笑顔が似合う人になりたい

          「笑顔が似合うね」と言われたことがある。 どうしてか聞き返すと、 「いつも笑っているイメージがあるから」と、 その人は言った。 私は笑顔で「ありがとう」と返した。 私は頻繁に笑顔を作る。 私が笑っていれば、大抵の事は何事もなく上手くいくからだ。 私にとって、「笑顔が似合うね」という言葉は、 取り繕った表情に対する 単なる社交辞令にしか感じないのだ。 高校時代、ある男性に出会った。 四角の画面の向こうで、ギターを弾きながら自作の曲を歌う彼は、私の知らないたくさんの笑

          笑顔が似合う人になりたい

          推しの話

          私の好きなものは、 全て四角い枠の向こう側にある。 実在しない 顔を出さない そんな人たちが昔から大好きだ。 “歌い手”が好きだ。 ボーカロイド曲の『歌ってみた動画』を投稿して人気を博す人たち。 多くの歌い手は、顔の全体像を非公開にして活動をするため、素顔を見ることができるのはライブのみである。 他界隈のアイドルは皆、 極端にいえば顔が収入減である。 写りが悪い生写真は売れず、ビジュが良くないMVは再生回数が伸びない。ファンの好きな髪型や服装をしなければファンはど

          推しの話

          初夏

          海とは 「楽しいもの」 「美しいもの」 「力強いもの」 そう思っていた 小学生ぶりに海に行った 夜の海だった 人気はなく なにより真っ先に恐怖を感じた 恐怖は時間が経つ事に増し 波音は自然の怖さを私に知らしめた 静かな夜の海は 10年前に故郷を襲った 大津波の記憶を蘇らせた 今、目の前で動く波は 10年前私の故郷を襲った波なのだ 今、足元まで歩み寄ってきた波は 10年前 無慈悲に故郷を変えた波なのだ 言葉では言い表せない虚しさが募った 私が今見ている海は こ

          小さな故郷

          私は、梅雨が嫌いである。湿気のせいで肌がベタベタする。せっかくアイロンで時間をかけてセットしたはずの髪も、家を出た瞬間お風呂上がり状態。スプレーで固めた前髪は呆気なくまっすぐになってしまう。しっかりビューラーとマスカラをした上向き睫毛も一瞬で下向きだ。全てが台無しで全身のコンディションが最悪になる、私が最も嫌う季節。それが梅雨である。 そんな、梅雨真っ只中の6月中旬のある日。前日まで降っていた雨も止み、久しぶりに見た太陽に妙な懐かしさを憶えた。待ち望んだ眩しさ。雨のせいで

          小さな故郷

          雨が降ったら黒い服を着る

          雨が降ったら黒い服を着る。 私は白が好きだ。 何色にも染まることができる 無敵な色だと思っている。 私は白が好きだ。 なんだか体が軽くなったような気分になる。 私は白が好きだ。 ふんわりとした優しい印象の女性になりたい。 私は白が好きだ。 ウエディングドレスのようで素敵である。 クローゼットの中も白一色で染まっている。 白は私にとって夢と希望の色である。 そんな白好きな私には嫌すぎる季節がやってきた。 梅雨だ。 毎日毎日空から水が降ってくる。 足元には泥水

          雨が降ったら黒い服を着る

          夢と戦争と文章と

          東日本大震災の復興に携わりたい きっかけはたぶん中学3年生のころ 曾祖父と、曾祖母の影響があったから 幼少期、両親が共働きだった私は、曾祖母に育てられました。小さい頃から日記や作文が好きで、何かある事に自分の気持ちを紙に書き出していました。曾祖母は、私と同じように文章を書くことがとても好きで、私は曾祖母に似たのかな、なんて思っています。 中学3年の夏休み、戦争についての作文を書く課題が出され、私は真っ先に曾祖父について書こうと思いました。 私の曾祖父は、昭和9年に現役

          夢と戦争と文章と