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夢と戦争と文章と


東日本大震災の復興に携わりたい


きっかけはたぶん中学3年生のころ
曾祖父と、曾祖母の影響があったから

幼少期、両親が共働きだった私は、曾祖母に育てられました。小さい頃から日記や作文が好きで、何かある事に自分の気持ちを紙に書き出していました。曾祖母は、私と同じように文章を書くことがとても好きで、私は曾祖母に似たのかな、なんて思っています。

中学3年の夏休み、戦争についての作文を書く課題が出され、私は真っ先に曾祖父について書こうと思いました。

私の曾祖父は、昭和9年に現役兵として入営し、第二次世界大戦に航空兵として参戦しました。
戦争中曾祖父は、銃撃戦で足に弾丸を受けました。
足に弾丸が埋まっていたにもかかわらず、曾祖父は生きて曾祖母の元へ帰りました。

この弾丸について、曾祖父は
「自分の体には鉄砲の弾丸が入っている。俺にとって、戦争はまだ終わっていない。」
と言っていました。

私が小学6年生のころ。
曾祖父は98歳で亡くなりました。
彼は旅立つ直前まで戦争と戦っていました。
火葬で納骨する際、曾祖父の体から小豆位の大きさの弾丸が出てきました。
曾祖母は、「この弾丸が夫の体内で暴れることなく98歳まで生かしてくれたことに感謝している」と言っていました。
弾丸は、今も曾祖母の御守りとして眠っています。

自分の命を守り抜き、国のために戦い続けた今は亡き曾祖父を、私は誇りに思っています。

曾祖母は、2年前から寝たきりの状態で、言葉を話すことも自由に動くこともできません。好きだった文章を書く趣味も、今は一切できません。

時々帰省した時に顔を見せると、声は出ませんが、口を動かして笑顔で私の名前を呼んでくれます。

そんな曾祖母のかわりに、私が言葉を紡いでいきたいのです。
私の書いた文章や手紙を見せると宝物だと言って大切に飾ってくれていたばあちゃん
葉月が成人するまで生きて振袖姿が見たいと言ってくれていたばあちゃん
前撮りの際は、とても喜んでくれました
葉月が結婚するまでは流石に無理かなあ、なんて言っていたばあちゃん

どうかできるだけ長く一緒に居られますように。
コロナウイルスの影響であまり安易に顔を見せることはできませんが、短いかもしれない残された時間を大切に過ごしたい、と思います。

曾祖母の影響で、文章を書くことが好きでした。
曾祖父の影響で、戦争に興味を持ちました。
高校では、新聞部に入部しました。福島県の高校ということもあり、取材を通して、戦争と境遇が似ている部分がある東日本大震災についてとても興味が湧きました。

記事を書いている時が、1番自分でいることができる様な気がしました。

次第に、震災で被害を受けた方々に、文字で寄り添っていきたい、被災地の今を自らの文章で伝えていきたい、架け橋になりたい、と思うようになりました。

私の夢はなんなのか、今が考える時期だと思います。
どんな夢にたどり着いても、これからも、福島県に寄り添っていきたいという思いは変わりません。

私の行動で、誰か1人でも、幸せだと思ってくれる人がいるのなら、それはこの上ない幸せです。
これを読んでくれた人が、少しでも東北について調べてみようかな、なんて思ってくれたならそれは本当に嬉しいことです。
これからも大好きな東北が幸せあふれる場所でありますように。

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