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大好きな日を伝える

真冬の早朝5時半。まだ日が出ていないこの時間の部屋の温度は当たり前のごとく氷点下。毎日乗るのは6時半の電車。乗り過ごしたら1時間後だ。世界で1番重い扉を開いて、高校時代の私の一日は始まる。

2021年9月11日
そんな真冬の高校時代と似たような気持ちになり、なんだか懐かしさを覚えている。

4年間断固として外さなかったInstagramの鍵を外したのである。
重たい扉を開いた。そんな気分であった。

投稿に自分の顔を大々的には載せないようにしていた。なんだか恥ずかしいし、プライバシー諸々が色々気になってしまうお年頃。
そんな訳もあって4年間、いわゆる「鍵垢」で生活してきた。

「伝えようと思えば、その瞬間から誰だってジャーナリストだ」

高校時代の恩師の言葉である。
毎日必死で取材・紙面作成に精を出していた当時の私はとにかくこの言葉が腹の底に落ちた。
落ちまくった。
ジャーナリストは職業というだけではなく、人間誰にだって該当するステータスの1部であり肩書き。どんな手段だって「伝える」という行為をしたその瞬間からジャーナリストなのだ。

この言葉に随分と惹かれた私は、自分をジャーナリストだとこっそり名乗るようになった。

高校卒業とともに、「伝える」ということを本格化しようと思いあることを始めた。
Instagram上での古里の発信。

記念すべき最初の投稿は、高校3年生の3月11日に行った。
自らの所論とともに「3・11」を伝えたい。
対象は、当時300人ほどいたフォロワーだけだった。練りに練った著述と自慢できる小さな経験を、高校時代の功績ともいえる1枚の写真とともに300人のスマートフォンに放出した。緊張もあったが、達成感と爽快感に包まれた至福の時間であった。

その次の年の同じ日にまた投稿をした。
同年、福島を知らないたくさんの人と出会った。そんな人々に古里を知ってもらいたいという思いから綴った文章と2枚の写真を400人の元へ発信した。

それから頻繁に投稿を行った。光と闇が交差する古里の姿を、ちっぽけなフォロワーに向けて届け続けた。

つまらないと思う人もいるだろう。
興味がなくて目を向けたことの無い人もいるだろう。
それでも伝え続けた。
伝えたいという思いはもちろんあったが、伝えることで生まれる高揚感や自信が何より好きだと思うのだ。

特にここ数ヶ月は、「ジャーナリストでありたい」とより強く感じた期間だった。
多くの情報とジャーナリズムに触れ、伝えることの素晴らしさ、重要性を改めて感じた。

それと同時に、自分よりさらに発信力のある数多の人を目の当たりにした。
人々に共通しているのは、発信源がSNSであるということだった。
多くの写真、多くのハッシュタグ、多くの反応、多くのフォロワー。自らの発信がいかに小規模で甘いものであったかを痛いほど思い知らされた。

2021年9月11日
自分を変えたとある日から丁度10年と半年が経ったこの日、新たな投稿と共に、Instagramアカウントを初めて世間の目に触れさせた。
今までの投稿一つ一つにもたくさんのハッシュタグを添え、多くの人々に向けて発信した。
一つ一つ大切に育ててきた我が子を送り出すかのような、楽しみと緊張感のある日だった。


自分を変えたあの日
言うまでもなく「3・11」である。
私の住む地域は放射性物質による被害も地震による被害もほぼ皆無で、俗に言う「被災者」には値しない。なぜそんな私がこの日にここまでこだわるのか。

「3・11」は、私の大嫌いな日で、それと同時に大好きな日だからである。
愛する古里が壊滅的な被害を受け、現在も何万という人々が避難を余儀なくされているというのに、大好きな日と言うのは少し不謹慎だろうか。

そもそもどうして不謹慎なんて思わなくてはいけないのか。
被害があった。人が死んだ。住めなくなった。
私の古里は、そんな言葉で語れるほど醜い場所ではない。被害を乗り越えた古里を、どうして真正面から見ないのか。いつまでも悲惨な過去を掘り返して狭い視野で私の古里を見るから、「大嫌いな日」という言葉の方がしっくりきてしまうのである。

「3・11」は私の大好きな日である。
この日は日本中が、世界中が「フクシマ」を見る。この広い世界のたった1人の主人公だ。
多くの人々が「フクシマ」の繁栄を心から願う、最も祈りに満ちた一日だ。
芽生え、花開こうとしている「フクシマ」の輝きが1年で1番強くなるこの日が、私は大好きである。

岩手県では、今年2月、「3・11」を県民の日とし、大切な人を想う、年に一度の県民の宝物とした。

「3・11」は大きな愛で溢れる日なのである。

そんな愛で溢れた大切な日を、これからも伝え続けていきたい。
自分の言葉で紡いでいきたい。
私の言葉が誰かの目に留まり、誰かの日常の1部となり、誰かの心を動かす。

重い扉を開いたからには、これから「3・11」を沢山の人々の大好きな日にしていくつもりだ。


ここまでこの単調なテキストを読んでくれた心の広い人たちに、心から感謝申し上げたい。

そんなあなたとって、「3・11」とはどんな日だろうか。
大嫌いな日だろうか。それとも、特になんとも思わないただの日常だろうか。

もしくは、私と同じ大好きな日か。

どんな日でも、どんなイメージでも構わない。
考えが変わらなくても構わない。
この小さな投稿から、なにか少しでも感じてもらえたのなら、本望である。

そして今日も私は、小さなジャーナリストとしてのんびりゆったり、足元の札束を拾いながら生きていくのだ。

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