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島っきりの夏【短編小説】

(この風めちゃくちゃ気持ちいい!) 

テルキはフェリーの手すりにつかまりながら思った。
こんな強い風なら、髪をあらったあと、ドライヤーがなくてもいっぺんに乾いてしまいそうだ。
フェリーが港を出てから一時間がたって、大きく波にゆれはじめたころ、まずガクが、そのあとまもなくしてジョウ太が
「おれ、気もちわるくなったから、下で寝てる」
と言って、下の階の横になれる部屋の方へ、フラフラとおりていった。
三人で最初から最後まで、フェリーで一番ながめのいいデッキにいようと約束していたが、すぐにやぶられることになった。

テルキは車の中で本を読んでも平気。
だからこれくらいの波では酔わない。
車が三台くらい乗っかりそうな、こじんまりした船が、テルキたちの乗るフェリーとすれちがうようにして通ってゆく。
(どんな魚をとっているんだろう。スケッチしてみたい) 


「ぼく、海の絵を描きたい」
そう言いはじめたのはジョウ太だった。高校に入って初めての夏休み。
ためしに入ってみた美術部で、ガクとジョウ太に会い、部活をやめないまま夏が来た。
美術部の顧問の吉崎Tは、休み前さいごの部活のとき、一人ひとりにぶあついスケッチブックを配った。 
「明日から、いよいよ夏休みだな。高校に入ってはじめての長い休みだから、みんなワクワクしていることと思う。もう先輩たちから聞いているかもしれないが、美術部の課題として、夏休みをかけて、このスケッチブックまるごと一冊、なにか絵を描いてくるというのを出す。これから造形とか立体作品とかを作りたいと思っている人にも、決して無駄にはならない作業だ。
題材は何でもいい。思いつくものがなければ、このあと先生が相談にのろう。それでは、みんな良い夏休みを」

例会が終わると、教室は
「何描く?」
という声でザワザワとにぎやかになった。
「公園の木を描こうかな」
「わたしは、うちの犬を毎日描く!」
「庭に咲いてる花だったら描けそう」
「車だったら描きやすそうだな」

みんな思い思い描くものを決めるなかで、テルキはすぐには思いつきそうになかった。
「なぁに描こっかなぁ」
とガクは両手を上にあげて背伸びしている。
「ぼく、海の絵を描きたい。なあ、一緒に描かない?」
いきなり後ろの席の二人に向かってふり向いて、そう言ったのはジョウ太だった。
「海? なんでいきなり?」
「ヨシトは山小屋に行くから、山をいっぱい描くみたいだ。僕らは反対に海を描いてみようよ」
「たしかに海は面白そうだけど、どこの海岸に行くの?」
「海岸もいいけど、せっかくなら島に行ってみようよ」
「島? 無人島とか?」
「いや、ちゃんと人が住んでる島」
「島いくの、おもしろそうだね」
ガクはジョウ太の案にのりかけてきた。
「ここから一番近いのって何島?」
とテルキがきいた。
「わかんないけど、北のほうにあったよね」
となんとなくで答えるのもジョウ太らしい。

そこに、吉崎Tが回ってきた。
「おう、三人組。どういうもの描くか決まったかい?」
「島に旅行に行って、海とか、そこの景色を書きます」
とジョウ太が言った。
「ほう、それはいいアイデアだね。フェリーに乗るのも楽しいしな。せっかくなら、スケッチブックを全部埋めるまで島から出ない、なんてのはどうだ?」
「えぇ? 一冊まるまる描くまで?」
「ゲーム感覚でやった方が続くこともあるだろう?」
「……いいかも。先生、それいいかも!」
ガクは吉崎Tの提案に大賛成した。
「おーし、親御さんともよーく相談して、いい休みを過ごしてくれな。海で泳ぐときは、ちゃんとした海水浴場でな」
「はーい」


「あ、島が見えてきたわよ!」
テルキから少し離れたところから海を見ていた女の人が、隣の男の人に遠くの島かげに向かって、指を指している。 
「一ばん最初に島を見つけた人が勝ちな」
と船に乗る前にジョウ太が言ったが、ガクと一緒に、まだ船の部屋の中で横になっている。
「不戦勝」みたいな感じで、ぼくが勝ったなとテルキは思う。
ショルダーバッグを回してスケッチブックを出し、最初のページにぼんやりした島の影を描く。
とりあえず鉛筆で、ササッと描く。
難しくはない。

鉛筆を走らせているのに夢中になっていると、
「当船はまもなく、木売港に入ります」
という船内アナウンスが流れた。
ジョウ太とガクの様子を見るために、デッキの階段を降りていく。
ジョウ太は上体起こして、壁にもたれて目をつぶっており、ガクは床に横になっていた。テルキが部屋に入ってきたことが分かると、ジョウ太は
「おう」
と力なく手をあげた。
「ガクはもうちょっとそっとしておいた方がいいなぁ」
とジョウ太は言った。

結局ぼくらは一ばんさいごに船をおりた。

ガクはしゃべるのも大変そうで、フェリーのターミナルでしばらく横になりたいと苦しそうに言った。
「きょう泊まるキャンプ場、こっから三十分くらいだから、ムリして歩かずにここでゆっくりしていこうよ」
とジョウ太はガクに言った。

三人の中で一ばん身長の高いガクは、その体を長イスに横にした。ガクは一人になりたそうだったから、テルキとジョウ太はフェリーターミナルのまわりを歩くことにした。

一日の中でも、一ばん暑い時間帯だった。
テルキはスケッチブックを開いて、港に止まっているフェリーを描くことにした。三人が乗ってきた船。ジョウ太も、
「おれも描こうかな」
と言っていたが、長イスに寝ているガクの姿を遠くから描いていた。

フェリーはしばらく港にとまっていたが、ふたたび船に乗る人たちを乗せると、低いボォーーという汽笛を鳴らして、ゆっくりゆっくり遠ざかって小さくなっていった。
スケッチブックにはフェリーの絵が残って、色はつけていないけれど、なかなかうまく描けたんじゃないかとテルキは思った。
「おーい。ガク、もう歩けそうだってよう」
とジョウ太がターミナルのところで手をふっている。

テルキは
「オーケー」
とこたえて、港の岸から歩いてもどった。
ガクは
「キャンプ場に着いたら、またうんと寝るんだ」
と言って、元気さを少しとりもどしたように見えた。まだガクのスケッチブックがまっさらな状態であることは、からかわない方がいいだろうとテルキは思った。 
「森のなかを通って行くから、たぶんすずしいよ」
と、地図係のジョウ太は言う。 

三人で黙々と歩き、パッと目の前がひらけた。テントがいくつか見えて、その先に海がでっかく広がっていた 
「ここで休憩しようぜ」
とガクが言って、あたらしいスケッチブックをとり出した。
 
海の方には、大きい船が灰色のけむりをぷんと出して、通りすぎて行った。
ガクが描きおわるのを待ってから、三人は海のちかくのキャンプ場におりていった。このキャンプ場は、トイレも水洗い場もあるのに無料で泊まれる。しかもシャワーだってある。お湯が出ないけれど。
「ここ、海も見えるし、水洗い場にも近いし、いいんじゃない?」
ガクが芝生のあるスペースを指さしている。テルキもジョウ太も賛成して、リュックサックをどすんと置いた。
テント担当のジョウ太が、テントをガサゴソ引っぱり出し、袋から地面に出した。テルキとガクがそれを広げる。

と、急にジョウ太がふらりといなくなり、まもなくして、時おり真上を見上げたり首をゆらしたりしながらゆっくり近づいてくる。
「ジョウ太、どうしたの?」
「……ごめん……。テントのポール忘れたっぽい」
「えぇーーーー!」
「いやぁ、リュックの横につけようと思ってうっかりしてた」
「テント立てられないじゃん」
船で酔っていたのがウソみたいに、ガクは大きい声をだした。
「ごめん……。どうしようか……」
テルキはさっきトイレに行ったときに、少し先にベンチのたくさんある、あずまやがあるのを思い出した。
「とりあえず、今日の夜は向こうのあずまやで寝ればいいんじゃない? 寝袋だってみんなあるし」
そこから三人で、またテントを袋にガサガサともどし、あずまやの方に向かった。
ガクはまだちょっと機嫌がわるい。
その日はあずまやで三人でおとなしく寝た。ガクが一ばん先に寝息を立てはじめた。

朝ごはんのパンを食べたあと、ガクが
「このままあずまやにずっと泊まるのはきついからさ、安い旅館とか調べない?」
と言い、スマホで
「木売島 泊まるとこ 安い」
と検索しはじめた。テルキもジョウ太も画面をのぞきこむ。画面に、ここのキャンプ場のことも出てきたけれど、それは無視。
「わぁ、やっぱ安くても一晩八千円とかだなぁ。素泊まりでも五千円くらいかぁ……」
「ぼくらの持って来たお金じゃ、あと二晩くらいしか泊まれないなあ……」
「あと二日でがんばってスケッチブックいっぱいにしようか?」
「というか、もういっそ、スケッチブックのことはもうどうでも良くない?」
「でも、帰っても暑いから進まないよ。ここで描いちゃった方がいいよ」
「おっ?」
とスマホをスクロールしていガクが声を上げた。
「一泊二千五百円ってとこあるよ。しかも、学生割引アリだって。もっと安くなるよ、ぼくら」
「安すぎない? 大丈夫かな?」
「ドミトリーだから」
「ドミトリーって何?」
「二段ベッドが集まった部屋のこと。他の人とおんなじ部屋だけど、やっぱ安いのがいいね」
「なんて名前のとこ?」
「ゲストハウス島っきり、だって」

そのゲストハウスは、フェリーを降りた港から、歩いて十分もかからない島で一番大きな灯台の下にあった。
昼前にガクが電話したら、まだまだ空きがあって、
「君たち高校生なの? じゃあ一泊千五百円でいいよ」
と優しそうなお兄さんだったという。

二階建ての、昔ながらの家という感じのところに着いた。
「やあ、こんにちは。君たちがさっき電話くれた高校生三人組だね。おれは一応ここのオーナーのマサキ。常連さんからは、マサ兄って呼ばれてる。よろしく」
背が高く、眉毛の少しこい人が迎えてくれた。物干しざおに布団のシーツを干す手をとめてこちらに寄ってくる。
「さあ、入って入って。
玄関に入ると、ツンと古くカビくさい匂いがした。 
「二晩泊まるんだね。じゃあ一人三千円。ご飯は共同のキッチンで作って食べる人もいるよ。それじゃあ、ゲストハウスの中を案内するよ」
ぼくらが案内された部屋は、二段ベッドが五つか六くらいある部屋。カーテンのしまっているベッドは、まだ人が寝ているらしい。
「そんでおれはこの二階にいることが多いから、夜中でも何かあったら声をかけるか、ケータイに電話してね」
とマサ兄は言った。
「おし。じゃあおれは洗たく物の続きを干すから、あとは自由にしてね。あ、島をぐるっとまわるのもいいけど、玄関出て左にずうっと行くと、岸づたいに島の反対側まで行けるんだ。途中に、岸に打ち上げられた船もある」
「えぇ? 船? そのとき何人か亡くなったんですか?」
ホラー映画などの怖いものが大の苦手のガクが聞く。
「いや、ロープで引っ張っていた船が、台風で流されただけだから。 人は乗っていなかったよ」
三人ともホッとした。
「うん、じゃあ行ってらっしゃい。島を楽しんで!」
三人は、飲み物とスケッチブックを持って、マサ兄のおすすめの岸づたいのルートを歩いた。 
昨日の今ごろは、まだ船の上だったなあと思いながら、三人はそれぞれ描きたいものを探した。 
灯台や岸に打ち上げられた船を描きながら、まったり午後を過ごした。

やがてスケッチをするのにも飽きてきたのか、テルキが海に出ている岩に向かって足元の石を投げはじめた。五回目くらいに、ようやく岩に石があたって、テルキはガッツポーズをした。
「おれも、きょうは描くのやーめた」
と言って、ジョウ太も足元の石をひろって、テルキのねらっている岩に投げはじめた。
 
美術部の吉崎Tにいつも集中力をほめられているガクは、相変わらず岸に打ち上げられた船をスケッチしている。たしかに描く部分が多いから、まるごとスケッチするのは大変そうだ。
ジョウ太はそのうち、岩に向かって投げるのにも飽きて、水切りをしはじめた。四回か五回、はねるのが精一杯だ。
「水切りなら、ぼくにおまかせ!」
と言って、ガクが急に立ち上がった。船はまだぜんぶ描けていないようだ。

ガクは両腕をのばして一回ぐぅーーとのびをすると、足元のうすい石をひろって、ヒュンと海に向かって投げた。

パッ、パッ、パッ、パッ、パッと十回くらい跳ねた。
「おわぁー、ガクすっごいなぁ」
ジョウ太はかなわない、という顔で見ている。
と、テルキが近くの大きな石をドボン! と投げ入れた。
「水切りもいいけどさ、いっちばん大きな音を立てられた人が勝ちってゲームしよ」
「おっしゃ」
と言って、ガクもジョウ太も機嫌よく、大きな石をさがしはじめた。
ガクは持ち上げられない石ばかり選んで、いっこうに投げられない。

そのうちその遊びにも飽きて、
「じゃぁ、今度は、どれだけ静かに投げ入れられるか、の勝負」
とテルキが言った。
「どれだけ静かにって、むずかし」
と言いながら、ガクは五百円玉くらいの小石を、そーーっと投げた。
ジョウ太は、小石を持って波打ち際まで行って、そーっと入れた。
「いや、ジョウ太、今ちょっと海に手はいってたでしょ
「はいってないって」
「もう投げてるうちに入ってないよ」
そう言って笑い合ってるのがテルキは楽しくてたまらなかった。


宿に帰ると、続々と旅人が来ていて、にぎやかだった。
ご飯を食べた後、共同の茶の間で、島の地図をひらいて三人で明日のことを話していると、
「君たち高校生?」
と泊まっている人の一人に聞かれた。
「高校生グループ、めずしいねー」
そうはやされると照れてしまう。

ガクとテルキは照れ屋だが、こういうとこでもジョウ太は、けっこうたよりになる。
「ぼくら美術部なんですけど、先生からこの夏でスケッチブックまるごと一冊、なんでもいいから描いてくるようにっていう課題が出たんです。ぼくは海を描きたいなって思って、二人をさそってここに来ました」
「ヘー、三人とも絵描けるんだ」
「スケッチブック見せて!」
「私の顔も描いてよ」
周りからワイワイと 言われて、モゴモゴする。
「ぼくら、まるごと一冊描き終わるまで、この島を出ないって決めたんです!」
ジョウ太がそう言うと、茶の間がどっと沸いた。
「え? 三人は二泊の予定じゃなかったっけ? 台所の方からマサ兄が顔を出した。「ホントはテントで一週間いる予定だったんですけど、ぼくがテントのポールを忘れちゃって……」
ジョウ太がそう言うと、 茶の間がまたどっと沸いた。
「そんなら、この宿の仕事、毎日ちょっと手伝ってくれたら宿代いらないよ。一冊描き終わるまで、ここでゆっくりしていきなよ。簡単なもので良ければ、朝晩のご飯も出せるよ」
「ええ? そんな、いいんですか?」
ずっと黙って様子を見ていた、ガクもびっくりして言った。
「おぉ、マサ兄男前~」
「この子たちをこき使って働かせたら、ただじゃおかないからね、マサにい」
と常連さんたちがからかっている。
「よし、決まりだ。明日の晩までは宿代もらってるから、あさってから手伝ってもらうよ」
宿のしごとを手伝う代わりに、タダで泊まれるなんてワクワクして、その日テルキはしばらく寝付けなかった。

「さあ、最初のしごとは、お客さんのお見送りだ。一緒にフェリーターミナルまで行こう」
この島から、沿岸の港街までは、一日四往復のフェリーが出ている。

お見送りからもどった後は、シーツを洗濯したりベットにあたらしくシーツをセットしたり、掃除機をかけたり、茶の間を整理したりと、いろんな仕事があった。
それでも、三人でやれば昼前には終わって、
「さあ、午後は自由にしておいで」
とマサ兄は送り出してくれた。

その日は自転車をレンタルして、三人で島を一周した。ガケの見える展望台でもスケッチブックを開いた。

そしてその二日後、
「お三人さん、すまないけれど、たのみがある」
とマサ兄は昼前に言った。
「今日、追加で三人泊まりたいって、連絡があってな。すまないけど、今晩だけベッドじゃなくて二階のおれの部屋に泊まってくれないか? せまくはないし、ふとんもある」
ガクは少し不満そうだったが、テルキはそれも面白いかもしれないと思った。

そういえばマサ兄は毎週土曜日は、 出たい人で寸劇をやることに決まっているのだと言った。

みんながご飯を食べ終わって、茶の間に いると、さっきまでプロジェクターをいじっていたマサ兄が
「さぁ、みなさんお待ちかね、島っきり劇場のはじまり、はじまり~」
と声をあげた。
パソコンでマサ兄が書いた台本が、スクリーンに映し出され、ステージに立った人はそれを見ながら演じることができる。

ストーリーは、とある宿に泊まった人が悪い夢にうなされて、すぐ寝られるように羊の数を数えようとするけれど、次々に出てくる羊が、実は羊見せかけた何かだったり、笑わせてきたりしてなかなか数えられない、というストーリーだ。

最初は一匹、二匹、三匹と順調だが、六匹目あたりから、最初は羊っぽい動きをしていたけど、急に途中からお笑い芸人のギャグポーズを連発したり、「三匹目、三匹目」とリズムよく言いながら九匹目の羊があらわれたりと、マサ兄のシナリオに常連さんはアドリブを加えながら、劇が進んでいった。
――と、十匹目の羊が出てきて、どっと茶の間が沸いた時、マサ兄
「ウトウアターック!」
と言いながら、ラグビーのタックルのように、十匹目の羊役に飛びかかる。
「出たっ! ウトウアタック!」
という言葉がとびかう。
どうやらお決まりの一芸のようだ。
「マサ兄は、自分よりウケた人には、悔しくてああいうツッコミをするんだ」
と隣に座っていた人が教えてくれた。
「あれ? 十一匹目?」
と、数える役は、混乱してみせる。

そのあと、最初は羊の 泣きマネで出てきたマサ兄が、「コケコッコー」とニワトリの鳴き声に変わり、それがオチで幕がおりた。
「結局寝られずに朝がきたってことなんだね」
ととなりの人も笑っている。
拍手かっさいのあと、またみんな食べたり飲んだりが始まった。
隣に座っていた常連客が、マサ兄のことをいろいろと教えてくれた。
「マサ兄は、二十代の時、ずっと東京で演劇をやっていて、公演をやったらけっこう座席がいっぱいになるような人気の劇団だったんだけど、三年くらい前に急にこの島にやってきて、ゲストハウスしてるんだよ」
宿が満員になったその日、三人はマサ兄の部屋で寝た。 

次の日、たくさんのお客さんを港で見送りしたあと、
「昨日、どうだった?」
とマサ兄が言った。
「うん、おもしろかった」
と三人はうなづき合って、ジョウ太は「ウトウアタック!」と言ってマサ兄にタックルした。
「そういえば、ウトウって何?」
「あぁ、三人はウトウの帰巣をまだ見てなかったか。明日の晩はおれが観光ガイドだから、その時一緒に連れてくよ」

ウトウの帰巣シーンはなかなか見ごたえがあった。
夕日がしずむと、海の方からウトウが帰ってくる。島の丘のあちこちにあいている穴のなかに、ウトウのヒナがいて、 そのヒナにエサを持ちかえるらしい。
海のかなたから、すごいスピードで飛んできて、山の斜面の草むらにガサッと入りこみ、そして自分のヒナのいる巣穴に向かってゆくのだ。見ているぼくらの頭の上すれすれに飛んでいくウトウもいて、その時はホントにヒュン! と空気をきる音がした。
帰りのバスで、他の民宿にお客さんを降ろしたあと、運転しているマサ兄はテルキたちの方を向いて、
「今日はちょうど満月だから、宿に帰る前に、ちょっと海をみていこうか。海岸におりよう」
と言った。
バスが海岸ちかくに止まると、満月が海から出てしばらくたったころで、月あかりが海に反射してとても美しい。
「あー、スケッチブック忘れてきた」
とガクは残念そう。
「おれがこの島に住もうって決めたのも、……満月の夜でな。おれが劇団やってたって話は聞いた? そう、わりと順調だったんだけど、一緒にやってたメンバーが実家の仕事をついだりとかでやめてって、結局、劇団は解散さ。もうしばらくアパートから出なくて。カップめんのカラとか、あいたペットボトルとかに囲まれてさ、やる気がなにも起きなくてね。

その時、クリップボードに
「民宿こたき」
っていう名刺が目に入って、もうそれにすがるような感じでさ、次の日には飛行機乗ってフェリー乗ってこの島にきたんだ。

前に劇で大漁旗使いたいって時に、ネットでだれか貸してくれませんかって出したら、こたきさんが「うちのでよければ、使っていいですよ」って連絡くれて、それで公演本番の時は、わざわざ東京まで来てくれてさぁ。うれしかったね。
それで名刺みて思いだして、こたきさんに会いに行こうって。

その時、こたきさん夫妻は、持病の悪化で病院にいた。二人とも、おれが劇団やめたこと知ると、
「万が一、私たちに何かあったら、良かったらあの民宿をついでくれないか」って言われた。とんでもない、 お元気になってくださいって言ったけど、まもなくしてお二人とも、本当に眠るように亡くなってしまったんだ。 満月の晩だったな。この海だった。この島で生きよう。東京の劇団は、もうこれっきりだってその時思ったんだ。……ちょっと長くなったな。さぁ、帰ろうか」

月はだいぶ高い位置まで上がってきて、海を照らしていた。

結局、テルキたちは、次の土曜日、演劇の日をもう一度迎えることになった。この日、マサ兄の役のセリフでウケたとき、とつぜんジョウ太が「ウトウアタック!」をマサ兄にかまし、ゲストハウスの家じゅうがゆれるくらい、大笑いになった。そのときの様子は、テルキがちゃんとスケッチブックに描いてある。

いよいよ島を出発する朝がきた。
ゲストハウスに泊まっているあいだ、宿泊者の似顔絵をよく描いていたジョウ太は、さいごのページにマサ兄の絵を描いた。

午後の時間帯に砂浜で絵を描くのが好きだったガクは、沖にある灯台の絵をさいごのページに描いた。

テルキは、玄関を出て正面から見たときの、ゲストハウスの建物をさいごのページに描いた。
「さあ、二週間も仕事手伝ってくれてありがとうな。とても助かった。少しだけど、家に帰る前に、うまいものでも食べて帰ってな」
とマサ兄は、テルキたちのそれぞれの手に、おこづかいをにぎらせた。

フェリーに乗る。
出発の合図の汽笛がなる。
見送る人たち、マサ兄が少しずつ、少しずつ遠くなっていく。マサ兄の顔が見えなくなっても
「またな!」
という声は、まだ聞こえていた。
テルキたちも、ずっと手を振った。
ふと、となりのガクの腕が、日焼けでまっ黒なのに気づいた。
よく見るとテルキの腕もそうだった。

「あれ?」
ガクがスケッチブックを見返す手をとめた。
「これ、マサ兄いつ描いたんだろう?」
三人それぞれのスケッチブックの、裏表紙をめくったところに、マサ兄の字があった。

「高一の夏は、これっきり。一回だけ。でも、島はいつでもあるぞ。何かあっても、何もなくても、いつでもおいで」
その字の横に、鳥のような絵が描かれている。
たぶんウトウかな。

来年の夏は、マサ兄に絵を教えなくちゃ、と三人でわらう。
「こんどはぼくも演劇出てみたいなぁ」
とガクが言う。
 『当船はまもなく着岸します』
というアナウンスが入る。

ふいに潮風がふいて、スケッチブックの裏表紙を静かにしめた。

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