見出し画像

これからは目利きの時代

教育者の目利き

生成AIをとやかく言うわけでもないけど、最近大学院の学生でも引用先が一次情報ではないことが多くて大変ですね…

基本的には最初にそれを論じたものをもとにして、そのオリジナリティの上に新たな知見を重ねるのだけど、そのオリジナリティの在り処を見つけずに根拠の薄い数次を経た情報をもとに論理立てしてくる輩も多いですね…

その意味では生成AIも学術的に打ち返ししてくれる場合は、まずは引用しているものを明らかに明示するのと、その引用している論理の最初のオリジナルを明示している文献等まで記載してくれるものでないと、少なくとも信じるまでには行き着けないですね…

とはいえ、そこまで生成AIには求めてないというご意見もあるし、単なるアイデア出しのツールという見方もあるけど、まあ、近い将来ハルシネーションを見破れずにそれを信じてしまう輩が出てきたり、その最初のきっかけの間違いに気づかずに変な研究に行き着くものも出てきたりするんだろうけど…

書きっぷりだけはまともに見えたりするので、大学や大学院の教育者も一段と高いレベルでの目利きができないと仕事ができない研究者や教育者ということになってしまいますね…

論文の公開

個人的には、大学や大学院での学習の成果は卒論や修士論文、博士論文の内容にもろに表れてくると思っています。

それは基本的に論文にはオリジナリティが求められているので、高校までの記憶力勝負や大学でも学科試験を記憶力などに重きをおいていた人では、考え方が違うからだと思うからです。論文でオリジナリティを出そうとすると、まずは仲間と同じものを写してもOUTな訳で、同じ方向性の論文であっても、その行き着く先は各自のオリジナリティの表明にならないと駄目で、そのオリジナリティを表現するためには、過去の人達のなかで自分のオリジナリティと同じものは2つとないことを証明しないといけないわけです。

つまりは過去の論者の成果を調べ上げ、かつ自分が過去に学んだことを土台にして自分の頭を使って考えないことには論文としての成果には至らないわけです。

その結果、その論文が大学以降の高等教育で全て公開されると、例え有名大学であっても、Fランと言われる大学であっても、自分の頭で考えた成果が白日のもとにさらされる訳で、それこそが本当の学力に近い個々の課題に対するアプローチの仕方や探求度、論点の整理やオリジナリティの主張など、全体を網羅すると思っています。

Fラン大学出身なのに本当に頭のいい人もいますし、有名大学出身なのに自分で考えることもせず、周りの人の意見に対し文句だけ言っていることで自分のプライドを満足させている輩も社会にでるとよく分かるというもの…

博士論文については、以前は国立国会図書館に1冊献呈しないといけませんでしたが、最近は大学の図書館などのHPでUPされていれば良いという解釈になっていますので、まあ国内の大学院で博士学位を授与された人の博士論文は基本的に公開されています。個人的には、海外の大学院についても同様にその国の図書館で公開すべきとは思っています。

修士論文等も、全ての公開では無く、その大学のHPからアブストラクト(サマリー)程度は公開されているところもありますが、全文公開は少ないですね。個人的には大学の卒業論文も、そして修士論文も、少なくとも日本国内で授与された学位の論文は全て公開するくらいに文部科学省は指導してほしいですね。

そうすれば、論文請負業者などが暗躍することも無いですし、それら国内全ての論文内容を比較検討できると、大学は別なのに同じ内容、つまりは論文業者に頼んだり書いてもらったりした、ズルして卒業したような輩のあぶり出しもできるはず…

過去の事件を蒸し返すようですが…

以下のPDFは未だにネットに上がっている、ある事件で有名になった人の博論です。英語で書かれていて、博学なんだと第一印象は思うかも知れません。

https://stapcells.up.seesaa.net/image/Background.pdf

次に、以下のURLを参照してみてください。

その有名になられた人の、論文の背景として記述された章の中身が、あるサイトの英文のほぼ丸パクリです。水色のバックカラーで表示されている部分が左右の比較する文章の中で違いがあるところをピックアップしたものです。

つまりは、水色のバックカラーになっていないところは、文章の一字一句すべて丸写しのところなのです。

一部の項目は、挿入位置を変えているだけですので、水色のバックカラーになっているところもありますが、これも丸パクリ… また項目のタイトルだけを付け替えたりしている様子も見て取ることができます。

つまり研究の背景を示す部分の内容を1章分丸パクリして博士論文として提出する時点で、まずは博士論文提出時点でOUTな訳で、この論文を本当に大学側が査読して通しているとなると、この著者の問題となる事件以前に、博論として通過したことそのものが異常ではないかと思うわけです。

今でもこの博士論文を某大学が取り消したのはけしからん的に発言するジャーナリストや学者もいますが、一般的に公開されている組織のHPに書いてある文章を、自分の博論の1章にほぼ丸々コピペしたものを掲載して、引用もしていないと言い張ることが博士になる人にとっての資質として満足行くものなのか大問題かと思います。

マスコミもこの辺のことは百も承知で、それでも十分な検証もしないままに報道していましたので、ジャーナリストとしての真実性の追求を日本のマスコミに求めても、この程度のやじうま程度の認識でスクープとか視聴率を稼げればよいという色眼鏡を通した見解しか報道しないと思ってもらった方が良いのかも知れません。(そもそも日本の報道機関には修士論文を書いたひとや博士論文を書いた人などは少ないでしょうから、その意味することすら理解できていないのではないでしょうか? )

なお、上に記載している論文PDFのリンクと比較のURLは、当時からずっと残されたままで、当時も検索すれば直ぐに探し出せるため、この辺の検証をせずに報道やワイドショーは好き勝手な見解をしていたんだと今でも感じ取れるかと思います。

現在は…

わたしの場合は、ビジネススクールで論文に関する講座を受け持っていた関係で、この事例も時折話していました。学位論文不正は、学位授与後であっても発覚すれば剥奪、つまり学位の授与そのものが取り消しになるので、その大学を学位授与が要件の場合は卒業や修了したことも取り消される可能性があると…

前職に転職した後に肺腺癌の手術等もあり、また前々職で許可されていた無償の社会貢献活動も、地方公務員倫理上の審査をするには短い任期なので、無償の社会貢献活動も休止していました。

昨今、再度転職し、副業も申請することで比較的可能であることから、再度お声がけがあれば、何らかの形で貢献したい思いは持っています。

ちょっと話が逸れたので、昨今の英文での修士論文や博士論文は、事前に盗用や剽窃でないことを検査する手段があり、その検査を経たことを証明する証がないと論文審査の過程に進めないようになっています。

なので、引用として長文の引用をしようものならチェックに引っかかりますし、日本語に例えると「てにをは」違いのような文章でもアラートになります。なので、先に示した某氏の博論などは、審査前に却下される仕組みになっています。

結果的には某氏の博論は事後却下されたようですが、当時は一部の研究者仲間では、その大学の博士学位を持っている(少なくとも同時期に授与された)他の人って、本当に大丈夫なのか(本当に査読を通過して、このレベルなのか…)って疑っている人も多かったですね…

未だに某氏の案件を、陰謀等とYoutubeやSNSなどでリバイバル的に取り上げる人もいますけど、そもそも博論が多くのコピペで成り立っている状態なので、これでは普通博士学位は授与できないはずということで、当然ならがその前提がないなかで学術的に信頼できるかという点でOUTなんだと個人的に理解しています。

後に実験ノートを記載していなかったり、検体の管理が杜撰だったりという情報もありましたが、致命的なのは、科学論文に必要な実証可能性の確認の機会が与えられたのに、それを証明できなかったことは致命的なんだと思います。仮にその検証環境に問題があるという反論があるのであれば、今ですと、全ての実験内容を不正がないように複数台のカメラで連続してライブ収録して、実証可能か否かの照査は可能と思うので、その分野の著名な先生複数人同時監視のもとに実証実験を成功させれば良いだけの話かと…

陰謀論を振りまく方々がクラウドファンディングなどでお金を集めて、その環境を作るも良しですが、本当のところは御本人が一番理解されていると思うので、もうこの件は大きく取り扱わないように配慮したほうが良いかと思っています…

ただ、不正の代償は大きいということは学んでほしいと思っています。

最初は生成AIの回答に関する目利きのお話でしたが、世の中が便利になればなるほど目利きの存在は重要度が増しますね~♫

桜の季節、未来のある人たちが入学するって良いですね♫
健康には気をつけて学生・院生生活を謳歌して楽しんでください(楽しむ=学習する)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?