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異国を歩く「フィルハーモニーを感じる」

今日は昼にはいわゆる観光をして、壁を見た。それ以上書かないけど壁を見たんならどこの国かバレてしまいそうだ。歴史に興味のない私だけどそれでもさすがにちょっと興奮した。この辺の歴史を詳しく夫から習う。思っていた壁の場所や知識があまりに適当すぎたことが判明した。常識が足りなくて申し訳ない。

夜にはフィルハーモニーというコンサート会場を訪れた。

これまた申し訳ないことに人生というのは残念なことが多い。私のようなオーケストラに興味のない人間が本場のコンサート会場で世界レベルの音楽を味わうことになるとは、という意味で残念な上に申し訳ない。もっとこれを見るべき人がたくさんいるんだろうなと思うと、なんとか頑張ってトップレベルの音楽を感じなければと責任感に似たものを感じたが、時差ボケが治らない。みなまで書かないが時差ボケのパワーは絶大だ。

ひとしきり感動した夫はオーケストラにハマりそうだと言った。お金がかかる趣味は持たないでほしいと正直思ったが言えない。「本当、素晴らしかったね」と目を輝かせ、「私もまたぜひ一緒に行きたい。今日は連れて来てくれてありがとう。夢のようだったわ!」と言えるならどれほど私たちは幸福な二人になれるんだろう。

価値観の違いというのは恐ろしい。私は競馬の方が楽しいんじゃないかと思ったけど、絶対に口が裂けてもそんなことは言えない。意外と私は夫に本音を見せていないなと今回、感じた。私のような妻で夫には常々申し訳ない。

音楽はいいとは思う。先日の投稿『愛があふれたコンサート』で感じたように音楽は素晴らしい。その文章も嘘ではない。その日は本当に素敵な夜を過ごせたと思ったんだ。

何が違うんだろうかと思うに、出来上がってる感が私にはダメなのかもしれない。意外性がないというか、本場のプロたちの演奏とプロに向かう卵たちの小さな会場での演奏とは何かが違う。

フィルハーモニーでのプロの演奏家たちはすごい狭き門を突破してきてその位置に座っている。そんなすごい人たちが固まって演奏したらすごいに決まっている。すごくて当たり前なのだ。その当たり前感が私の感動を下げてしまっているのかもしれないな。

とはいえ私も一応じっと見た奏者がいた。ピアノだ。ピアノを弾く彼女の圧倒的な迫力と音の広がり、身体中から音楽を、感情を伝えようとする熱量は本当にすごいなと思った。

私はピアノは10年くらいやっていたにもかかわらず、いまは猫踏んじゃったくらいしか弾けないレベルだ。けど、ああいう演奏をみると、自分も弾きたいという気持ちが募る。ピアノではなく別の楽器だけど、弾ける楽器がある。その楽器を弾いているときは感情を爆発させたくなるくらい気持ちが入る。こういう感情の動きはプロの彼らと通じるものが少しくらいはあるだろう。音楽はプロにも素人にも平等に湧き上がる感情を与えてくれるはずだから。

ではまた続きは後ほど。

#エッセイ #異国 #海外 #旅行 #ヨーロッパ #壁 #音楽 #フィルハーモニー #楽器 #感情 #パワー #価値観 #夫婦

この続きを後日、書きました。

「愛があふれたコンサート」はこちらです。よかったら覗いていってください。




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