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「虹をかける」〜二つの戯曲にこめたおもい

 今年、わたしは、二つの戯曲を書くことが出来た。

 最初に書いたのは、「声・靴・はじまり」で、二つめは、「らせん階段を昇るとき」である。

 「声・靴・はじまり」は、もう、二十年近くも、こころのなかで、温めていたもので、実際に、わたしの身の上に起こった、わたし自身の「生き直し」が、テーマになっている。

 わたしにとって「生き直し」とは何だったのか。 

 何故、「生き直し」が必要だったのか。

 さらには、「生き直し」を可能にしたものは、何だったのか。

 そういう視点で、書いてみたものだ。

 この戯曲を書く時、わたしの頭のなかにあった「土台」は、一九八三年に、アメリカでピュリッツァー賞を受賞した「おやすみ、母さん」(マーシャ・ノーマン作)だった。

 「おやすみ、母さん」は、どこにでもありそうな、アメリカの平均的な家庭のリビングで起こる「母と娘」の会話劇なのだけれど、その結末は、かなり「衝撃的」である。

 母親には平凡に見えていた「日常」を、かなりの「不満」を抱えながら、生きて来た娘は、「人生」に対して「憤り」を抱えている。

 自分の「人生」に、なんら決定権を行使することが出来ないままに過ごして来た「日常」に対して、彼女は、「自ら死を選び」、「実行に移す」ことで、決着をつけようとする。

 何故なら、自分の「憤り」は「誰かのせい」ではなく、むしろ、「自分のせい」だからだ。自分自身への「決着」のために導き出された彼女の「死」は、もう、誰にも止められない。

 彼女には、「てんかん」の持病があり、そのために、ずうっと、体調は、優れなかった。でも、最近飲みだした新しい薬は、良く効いて、彼女の頭は、ようやく、はっきりして来たのだ。

 だから、彼女は、はっきりして来た頭で、自分でちゃんと判断して、「死ぬこと」が、出来るようになったのだ、と主張する。

 自分は、自分の「意志」で、自分の「人生を終わらせる」のだ、というのが、娘の論理である。

 その決意を聞かされ、置いていかれることが分かってしまった年老いた母親は、驚き、慌て、なんとか決心を翻させようと、時間を稼ぎ、娘に対して、さまざまな話題をふっかける。

 けれども、決心が固い娘は、もはや、聞く耳を持たない。

 ひたすらに部屋を掃除し、自分が亡き後の「買い物」のしかたや、「生活」のまわしかたを、母親に、淡々と伝授してゆくのみ、である。

  やがて、「最期のとき」は来る。

 「拳銃の音」。。

 母親の「恐怖」と「絶望」はピークに達し、もはや、パニック状態である。

 それでも、母親は、生前の娘が、指示してから逝った通りに、離れて住む息子に「娘の死」を伝える「電話」をかけるため、受話器を、取る。。

 そこで、幕は、閉じる。

 平凡に見えていた「日常」は、心理的には、決して「平凡」なんかでは無かったこと、そして、「自分の日常」と「自分の人生」は「唯一、自分で終わらせることが出来るものだ」というメッセージが、この戯曲の中心に据えてある、とわたしは受け取っている。

 「自ら人生を降りる自由」とでも、言ったら良いのだろうか。。

 この、設定といい、結末といい、それなりに「衝撃」は受けたけれども、わたしは、読んだ直後から、今に至るまで、どうしても、この戯曲を、好きになることが、出来ない。

 テーマは、文学的には「純粋」だし、「理屈」も、通っている。

 それでも、どうにも、後味が、悪いし、どこにも、ひとつの「救い」も、存在しない。。

 斜に構え、「哲学的」に、「日常」を分析し、「生」と「死」は隣り合わせであることや、「人生の決定権は、自己にあるのだ」と、観るものに突き付けてみせること、は、「理屈」としては、理解出来る。

 けれども、ほんとうに、それで、良いのか?

と、わたしは、思ってしまうのだ。

 「絶望」を見せつけることは、「文学」にとって、そんなに「必要」なことなのか。。

 わたしは、むしろ、「文学」には、「理想」をこそ、提示させたいと願うのだ。

 「絶望」なんか、もう、みんな、知っているではないか。。

 「絶望」を越えるための、「形而上学的」な「理想」をこそ、現代の「文学」は、提示しなけれはいけないのではないだろうか。

 わたしは、そう、思う。

 「救い」は、本来は、宗教の仕事であった。けれども、「宗教」の持つ一面は、「狂信」や「洗脳」を呼び、ひいては「戦争」までも生み出してしまうことも、もう、みんな、知っている。

 「文学」なら、「救い」さえも、そっと、優しく、提示出来るのではないか。

 わたしは、そう、感じる。

 だから、わたしは、「声・靴・はじまり」で、「日常の隙間」に落ちてしまっている「何ものか」を「見つめ直す」ことで、「意識」を変え、別の視点から「はじまれる」ことを、示してみたい、と、思ったのだ。

 そういうわたしの「姿勢」と「おもい」は、次に書いた「らせん階段を昇るとき」でも、貫いたつもりである。

 「らせん階段を昇るとき」が、「土台」としているのは、一九七一年に映画公開された「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」(脚本コリン・ヒギンズ)である。

 先に父親を亡くし、母親と暮らす十九歳の少年ハロルドは、社交に明け暮れて、全く息子のこころを理解しようとしない母親を驚かそうと、「自殺遊戯」をし続ける。何度も何度も、「死んだ演技」を、母親に、見せつけるのだ。

 そんな息子に対して、もう、母親は、慣れっこになってしまっていて、「自殺遊戯」さえ、気にも止めない。 

 ハロルドの、もうひとつの趣味は、全く関係のないひとの「お葬式」に参列することである。

 そのお葬式の場で、ハロルドは、同じ趣味を持つ、七十九歳の老婆、モードと出逢う。

 奔放なモード。さまざまに奇抜なおばあさんである。

 その「奔放さ」と「純粋さ」は、ハロルドを魅了してゆく。

 やがて、二人は、その年齢差も、ものともせずに、「恋」に落ち、ハロルドは、モードに、「結婚」を申し込むのだ。

 けれども、モードは、もう、決心している。

 八十歳の「お誕生日」に、「薬」を飲んで、「人生」を終わらせようと思っているのだ。

 ここでも、また、「自分」の「人生」を「自分で終わらせる」という、「哲学的」な「自己決定権」が、忽然と、現れる。。

 「八十歳は、ちょうどいいのよ。」

モードは、そう、言ってのける。

 これも、「理屈」としては、通っているけれど、それでも、やっぱり、「救い」が無いのだ。

 とても素敵で、可愛らしい「映画」なのに、わたしは、ずうっと、その「結末」が、嫌いだった。

 だから、わたしは、モードに「薬」を飲ませずに、「階段」を昇らせてみた。

 彼女が、「自殺」ではなく、「寿命」で、「人生」が終わってゆくように、してみたかったからだ。

 この戯曲は、「星の王子さま」と「ハロルドとモード」を限りなくリスペクトして、シェアユースの発想で書いてみた。存在することを許されて欲しい。

 わたしは、どうしても、「文学」を通して、世の中に、「虹をかけたい」と願ってしまう。「救い」の無いものは書きたくないのだ。

 だから、多くのひとが知っている、二つの「秀逸なおはなし」を、使わせて戴いた。

 「絶望」は、わたしだって、もちろん、知っている。だから、簡単な楽観で、「お花畑のおはなし」が書きたいのでは、ない。

 ただ、わたしは、「絶望」を「絶望」のままに放っておきたくないし、そこに、留まったままで居たくも、ないのだ。

 「絶望」を越えて「虹をかける」

 これが、わたしの、「文学」に向かう「姿勢」で、ありたい。

 そのおもいをこめて、これからも、さまざまに、書き綴ってゆきたいと、わたしは、切に、願っている。

 

   参考文献

※「おやすみ、母さん」
作:マーシャ・ノーマン 訳 酒井洋子  劇書房二〇〇一年六月二十六日

※「ハロルドとモード」
作:コリン・ヒギンズ 訳 阿尾正子  二見書房 二〇二二年十月二十日

※「星の王子さま」
作:サン・テグジュペリ 
訳 河野万里子 新潮社 
二〇一七年三月十日 電子版

 









































































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