ねずみのかきつけ

ゆとり世代のねずみ

ねずみのかきつけ

ゆとり世代のねずみ

最近の記事

虫と話す

失礼を承知で言えば、最近人と話していて、「虫と話しているみたい‥」と感じる事が増えた。 葛藤や逡巡がなく、すごくパターン的で、それは短絡さと即物の極致に思えて、 まるで、最適解を出力するためのアルゴが入った機械みたいだ。これこそ哲学的ゾンビ。 人間がAIに近づいてきたと思うのはこういう所。最適解なのに実態の裏打ちがないから、厚みがなくて私は本能的に気持ち悪くなる。 それこそ虫みたいに。 むしろ葛藤や逡巡こそが貴重かもしれない。 自分の意思があるという事が。

    • 瑕疵排除文化の象徴。新卒就活のナチ風味

      脱毛文化みたいな潔癖性な感じ、若い人から勝手に始まったんじゃなくてまずは年長の人が年少に求めたのが始まり。それを象徴してるのって新卒の就活じゃない?学歴フィルターとか、精神病傾向を弾くためのテスト、エゴサーチにSNSチェック、それにそつのないガクチカ。どこまでも「瑕疵がないこと」を求めてる。人事様のお客様気分が極まってる事この上ない事、実際、新卒リクルート指南会社様のお客様ですから。 企業の方にも事情はあって、数十人の枠に何百人と集まるから理由つけて切らないといけない、説明

      • 白馬の王子様に濡れ落ち葉

        またゆとり世代の悪口思いついて 「白馬の王子様に濡れ落ち葉」って感じ。上の世代の様なガツガツした感じなくて大人しいのに、妬み嫉みしっかり持ってて心の中は欲望だらけ。なのに、それを主体的に解決しようという事はなく、周りに解決させようとして、お膳立てしてもらえるのをずっと待っている。 周りに少しでも、積極的で面白そうな人がいたら、その人にべったりくっついていく。協力するならいいけど、大体は負ぶさって、引っ張らせ、搾取する。 それくらい利己的なのに、なぜか「いつか自分を丸ごと

        • 自虐で若年老害言って攻撃

          みんな若年老害って言葉好きじゃん。 ここまで、若年老害のわけについて思う事2つ書いてきて、けして決して、 対話が大事・相互理解しましょうねなんてくっそ予定調和言わないのがこのねずみの良い所なわけですが、 最終的に思ったのは、わざと言ってない?自分達の事を若年老害って。 30代くらいの人が、本気の老害見てて、本気で老害嫌ってるから(この憎しみの勢いに比べたら、20代のいってる老害論なんて甘い甘いファッション) 自分が老害になりたくなくて、あえて若年老害という言葉出してきて

          AI排除AIに排除される

          SNSとか、マッチングアプリでやり取りしてた相手が、実はマルチ勧誘目当てでがっかりした、そういうの排除したい というのと同様で、 人間だと思ってやり取りしてた相手が実はAIだったという事が起きてきて、人間の繋がりの領域を侵食してくるAIを排除しようと、そのためのAIが必要とされ、AI同士の戦争となりそう。 その上、AI的な人間はAIと間違われ、AI排除AIに排除されて、何の実態にも辿り着けず死んでしまうという事もありそう。 そうなった時、AIではなく人間を揃えている事、人間と

          AI排除AIに排除される

          若年老害のわけ 老害量産社会になる単純な理由

          続きで思った事、若年老害という言葉が流行る事、若年の中でも単純に、より年少の人の優秀さが増しているからと思う。タイパコスパで動き、存在価値を秒で削り合っている世代が優秀じゃないわけがない。それは年長の世代が年少の世代に求めた優秀さがちゃんと実現されているという事だ。どんな風に優秀かというと、・単位時間あたりにこなす仕事の量や種類が多い。(昔はどこかに書類をひとつ送るだけで、一日の仕事が済んだ事になったのではないだろうか)・全方位作戦で、色んな可能性追求してる。色々なコミュニテ

          若年老害のわけ 老害量産社会になる単純な理由

          若年老害のわけ 全部つながってる

          私的都会的な甘え三選 ・ソロキャン ・生野菜サラダスムージー ・何でもハラスメント 何でも害害、何でもハラスメントって、沖縄とかでは成立しなさそうな考え。自分の価値観に合わない事をいちいち社会問題化して突き上げるのは、 自分が何でも選べる立場という前提だから。一人じゃ何もできない無力さを感じる事なくて、何が何でも目の前の相手と協力する必要なくって、 だから、そういうこと言えるやれる余裕がある。内地には。 沖縄だったら、ハラスメントってレッテル貼りする前に、関係・物理的貧困と

          若年老害のわけ 全部つながってる

          インフラ男性の威を借りて

          かっこいい人=男性の時代が続いて、その中でかっこいい男性の威を借りて生きる男性という枠があったのだと思う。 私の知り合いらは、コロナ禍の事があってから「思考放棄して従順にマスクと自粛を続けるおとなしすぎる国民」の対照的な存在としてヤンキーを美化するのだけど、ヤンキーと共に育った私からすればあいつ等は結構女々しい。すぐ泣く。弱いものいじめる。自分より弱い存在を性の対象として狙う。 戦争に行けば最初に脱落する。たぶん。 強そうでいて、所詮は枠に守られた弱い連中の集まりだった。

          インフラ男性の威を借りて

          間引きの思想

          今の若い世代のカルチャーというのは、言うのもはばかるけど、間引き思想なのだと思う。それが自分に向くと死を選ぶ事になる。社会的な死を選ぶと引きこもる。 こういうのは日本だけだろうか‥ こういう感じ、いつから始まったんだろう。 私の記憶では、Twitterの広がりと東北震災がきっかけだったと思う。 私が、震災復興の文脈でなにか正義を語るのをめちゃくちゃに憎むのは、それが間引きの思想と繋がるから。 「役に立たない自分は、生きている価値がない」 社会に、自分に、間引かれる恐怖と共

          世代の業。産むなと命じたのはおじさん

          世代、世代の業があるんやね。 私の周りの年上の人らは、若年の非婚化を過激フェミニストや暴言主婦のせいと言うけど、 まあそれもありそうって思うけど、 自分の記憶を辿れば、結婚と出産を「労働からの逃げ」として悪しざまに言ってきたのは圧倒的に高齢男性だった。しかも就職不況だったので、その考えに従わないと就職出来ないという恐怖があった。 採用の実権を握っているのは高齢男性なのだから。 今思えば、報われないけど逃げる事も出来ない中小企業サラリーマンの当てつけだったのだと思う。 そうい

          世代の業。産むなと命じたのはおじさん

          SNSになに載せるか。子供を追い込んでいるのは実は若年

          私がSNSに載せているのは、私の内的世界の表現で、大体が他の人にも再現可能な体験、あなたにも。 そういうのが大事なんだと思う。 そう決めてやってるわけではなく、結果としてそうなったのだけど、ルールはあって 知ってる人と繋がらない 人間関係に関わる事で、自慢になるような事を載せない 家族と同等に大事な人の写真を載せない 要はマウント取りやアピールに使わないという事だけど、 それ以上に、少しだけ利他性をもたせようという気持ちもあって、 いつも変な事ばかりしてるけど、そういうの見

          SNSになに載せるか。子供を追い込んでいるのは実は若年

          支援する立場の人は、自分が支援される権利を失ってしまう。

          支援する立場の人は、自分が支援される権利を失ってしまう。有名な人や、頑張る人は特に。 りゅうちぇるがテレビ番組でこぼしていた言葉、 「自分なんかいない方が良い」 の気持ちが唐突にわかった。そういう事だったんだ‥ 邪魔に思われてるとか、自分が無価値だとか、 そういう事じゃない。 「自分にとって、自分なんかいない方がいい」 突き詰めるとそういう事になる。 いいように使われて、自分のために生きられない事への苛立ち。 乙武氏の言い様見て、余計にこの考えに確信が持てる。 りゅうちぇる

          支援する立場の人は、自分が支援される権利を失ってしまう。

          前提揃え感覚の欠如。みんな頭いいはずなのに。

          あのニュースの、コロナ感染者数地図は、イチ記者がJAVAで作ったものだったんだって!この記事、繰り返し読みたい。 これは私の職場もだった。それぞれがその時々で色んな形でアウトプットして、決まった様式なく前後横との関連もあんまりない。だから、お互いにお互いの枠組み、やっている事が理解出来ず、仕事がどこまでも属人化していく。わりとお互いに「自分のやった事、誰も見てくれない。協力してくれない」と言ってる気がする。 こういう感じ、単純にアウトプットされるドキュメントのファイル形式

          前提揃え感覚の欠如。みんな頭いいはずなのに。

          SNSに何載せるか。関心集約バブルの綱渡り

          SNSの使い方について、もっと若い時、ふと、消費する様子を延々アップするのではなく、何かを作り上げる様子を、生産過程を載せていくべきなんだというこだわりみたいなんが生まれて、ものだけでなく、考えとか、気持ちも含めて、 今はそこまでこだわりないけど、消費も生産も表裏一体やし、 でも消費を競うのはなしかな。 工芸販売で働いていたころ、お客にそういう醜さを感じてしまって。金ではたいて、簡便に文脈を買う、買えてるつもりである、簡便に手に入れたものを高画質カメラで撮影して、大層重大な

          SNSに何載せるか。関心集約バブルの綱渡り

          コミュニティとしてのアジア食堂

          アジア系の食堂アジアの人集まる。何当たり前の事言ってんだって感じだけど、ベトナム料理やに東南アジアの色んな人集まってお互い何語で話したらいいのか分からんから日本語で話してる。 もっとすごいのは牛肉麺のお店で、牛肉麺色んな文化横断してるから、まずハラル求める人必ず来るし、中国料理だから中国の人くるし、日本人にとってはアッサリしてるかもだけどラーメンの延長、東南アジアの人には味は濃そうだけど、パクチーとか香草がきいた汁だくのおつゆって、暑いとこの汁物文化にピッタリはまると思う。

          コミュニティとしてのアジア食堂

          不機嫌は、金を払ってなるものへ

          SDGsかまびすしいけど、人間関係の持続可能性はどんどん低下している。ハナから持続する可能性とか期待せずに人と付き合っているかもしれない。 年代、世代ごとに、人間関係を固定するためにする事(お互い支配的になる)があるような気がして、 40代以上(後半くらい?)が、 相手の足を引っ張り自分のレベルにまでさげる 30代が、 陰鬱に引きずり込む 20代が、 存在価値でマウントをとる と思ってる。 足を引っ張りは、当然その下の世代には受け入れられなくて、もはや「パワハラ」として捉

          不機嫌は、金を払ってなるものへ