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明治の景色に出会えない

古本市で、明治時代のポストカードを手に入れた。

軍事のカテゴリに入っている明治のポストカード、どれも夢のように綺麗で、胸が痛いくらいだった。

この時代の人が何を見て、思ってたのか、全然世界観違うんだとびっしり並んだカードを繰ってるうちに気付いた。千代紙、金の箔押し、西洋風縁取り、なんていうの、そういうの、とにかく、きっと自信に満ちていた。

でも、何でもない事が美しかった、大根、にわとり、田植え、レンガの建物、将軍って言いながら私から見たらただのおじさんの顔写真、棒に飯盒つるして担ぐ兵隊、ただの生活の一部分と言われればそれまで。それがこんなに美しく描かれた、美しく描く事に何の疑問もなく。それは実際、皆がそれを美しいと感じたからでしょ。

感受性で負けた。

我々のインスタグラムの、なんと醜い事よ。

ポストカードを手に入れたものの、私はすごい喪失感に包まれた。絶対に開かないドアを必死に叩いている感覚が結構あるけど、それをまた感じさせた。

街に巨木のない時代に生まれた私の胸をちりつかせるくらいの粋を集めたこのプロパガンダは、きっと私の夢か悪夢の中でしか立体化しない。巨木は一朝一夕では育たないのだから、私がこの後も生き続けるための希望の一切を奪う幻惑へ引きずり込まれるよう。

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