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SNSに何載せるか。関心集約バブルの綱渡り

SNSの使い方について、もっと若い時、ふと、消費する様子を延々アップするのではなく、何かを作り上げる様子を、生産過程を載せていくべきなんだというこだわりみたいなんが生まれて、ものだけでなく、考えとか、気持ちも含めて、
今はそこまでこだわりないけど、消費も生産も表裏一体やし、
でも消費を競うのはなしかな。

工芸販売で働いていたころ、お客にそういう醜さを感じてしまって。金ではたいて、簡便に文脈を買う、買えてるつもりである、簡便に手に入れたものを高画質カメラで撮影して、大層重大な感じでSNSにアップする。そこで終わる。
そこから二次生産が始まる事って、多分ない。そこから文脈に合流したり、継いでいける程の誠実さとかはない。関心集約バブルの綱渡りという感じ。

勿論、売ってる私達も「ブランディング」という名の虚飾で中身スッカスカ、関心集約バブルの中で真剣なフリして、自分をだまして、お客を説教して、大した技術でもない美術でもないものを一生懸命売ってました。

そういう事への反省もあるし、時代がそういう事を、どんどんと嫌っていくような気がしてます。
かっこばかりツルツル綺麗で、跡が見えないもの、生きている実態が見えないものを。

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