自分らしい生き方はネットのおかげ
1990年代以前の昔に出かけていって「みんな自分らしい生き方をしようよ」と言っても、今とは違う受け止め方がされると思います。
ネットがないということはどういうことか
あの頃は、他人がどういう人生を歩んでいるかなど、テレビや雑誌でクローズアップされる人以外のことは、あまり分かりませんでした。
つまり多数の個人のナマの声をダイレクトに聞く機会というものが、日常的にほとんどありません。
いま思うと、
あの頃、自分らしい生き方をしていた人は、
相当なツワモノだなと😎
たとえば単身、NYやパリに行って、〇〇として成功した人など。
クルマが売れなくなったのもネットのおかげ
1980年代以前の若者がクルマを好んで乗ったのは・・
クルマは、ガジェットだったからです。
バロム1 のマッハロッド・ボップだったのです。
自分の目で世の中を見たいと思ったときに、もちろん電車やバスで移動して見るということも可能です。ただ、クルマは自分で運転して好きな時間に好きなところに行けるというのが最大のメリットで、だからこそエクスプローラーたちはクルマに乗ったのだろうと。
いまだったら、YouTubeを見ればどこにだって行けるし、街を散策することも可能です。
でもそういう世界がなかったら、自分の足で見にいくしかありません。
自分のアシを使って、リアルを確かめようとするでしょう。
あの頃、男子はクルマに乗ってると女の子にモテたという状況がありましたが、アッシーくんとして便利だったというのはあると思うけど、もしかしたらあの頃の女の子は、男子の「行動力」みたいなものに魅力を感じたのかもしれないですね。
どこかの経営コンサル氏が言っている「情報量は移動距離の二乗に比例する」という言葉は、ネットオンリー社会の人には発想できない言葉かもしれません。
もちろんそのことは、いまの世の中でも言えることではありますが。
誰とでも対等にコミュニケーションできる
ネット、とくにSNS以前は、巨大企業のトップや偉大な芸術家、有名人とダイレクトにお話しできる機会なんて、ほとんどありませんでした。
彼らの存在、彼らの日常はベールに包まれていて、会って話をしようと思っても途中にさまざまな障害があったのです。
また途中にいる人が、本人の意向とはまったく違うことを言って、会おうとする人の行動を阻むこともありました。
本人がどういう考えを持つかどうかに関わらず、コミュニケーション自体が成立しなかったのです。
その点、現代はさまざまな人々と交わることが可能になりました。
ビッグな人にも、アウトローな人にも、底辺を彷徨っている人とも、ダイレクトにコミュニケーションができてしまいます。
べつに自分のアシを使わなくても、居ながらにして、端末を見れば会える。相手も、一応は対等なフリをして、会ってくれます。
自分らしい生き方とは
ぶっちゃけ、誰の意向にも妨げられず、自分の好きな人と会って一緒に好きなことができるのが、いまのネット社会です。
自分にぴったりの人が 1000km 離れたところにいても、すぐに会える。
やりたいことは、バーチャルで実現できる。
リアルは、バーチャルをきっかけとして展開することもあります。
だから自分らしい生き方をして、それをリアルなものにするためには、バーチャルの先に行く必要があるのでしょう。
誰に会えばよいかは、すぐに分かる。
あとはどうやってその人にリアルに会うか、出来事にどうやって参加するか。
バーチャルの先に到達することが「チャレンジ」になるのだと思います。
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