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同調圧力

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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建築系の友人とGA galleryに行ってきた。GAという建築雑誌があり、そこの会社が持つギャラリーである。定期的に展覧会が開かれ、今回は「GA HOUSES
PROJECT 2022 」というものだ。春頃に住宅、秋頃に大規模建築の展覧会を例年行っている。

国内外50以上の建築家達のプレゼンシートと模型が展示されている。建築知らない人でも面白いかもしれない。と思ったが、流石にそんなことはないか(笑)模型を見ているだけで面白いのは建築学という変な教養があるからだろう。そんな変人ホイホイの建築系展覧会。思い返すと、全部1人で行ってきた。自分が通っていた大学はあまり建築に熱心なところではなく、地方ということもあり、同期の人間達は展覧会に行ったことない人間がほとんどだろう。1番の理由は友達が少ないことなのは明白なのだが。

そんな私の数少ない友人と行くことに。正直何を話すのか分からず、前日どころか1週間前からドキドキしていた。

最近分かったが、私は他人の価値観を嫌っていたようだ。映画館やライブに友人と何回か行ったことがあるが、どこかで意見が食い違う。自分が良かったと思っていた部分があまり響いておらず、自分があんまり良いと感じなかった部分に感動していた。映画やLIVEだけならその余韻で最高なのに、なんでこの気持ちを分かってくれないんだとモヤモヤしていた。育った環境が近く、感性も近い姉とばかり行くようになった。

違う感性の人間をある種の敵のように見ていた私だが、違う視点があることを教えてくれる貴重な存在なのだと気づいた。違う意見を受け止められるくらいの心のゆとりが人間には必要だ。それを受け止められないようでは精神的に余裕が無いのかもしれない。互いに意見を言い合えることで更なる発見がある。そんなことに気づいてから人と話すことがあまり怖くなくなった。

なぜこんな風に育ったのだろうか。学校というシステムのせいだろうか。クラスや部活というものには同調圧力の匂いが充満していた。なにか違うと弾かれるかもしれないという恐怖感。といっても、私自身いじめられたことはないし、イジメなど(私が見える範囲では)なかった。原因が学校でないとなると何なのか分からないが、人があまり好きじゃなかった。それが休学期間で好きになってきたので、いい傾向だろう。

とはいえ、ドキドキするということは変わらない。普通の友人と話すのとは違う。やはり建築をやっている人間は少し変わった人が多い。高校の同期と話してる時とは全く違う会話内容になる。わたし自身建築をやっているとはいえ、周りと比べたら知識がほとんどなく会話についていけるか不安だ。そんな不安を持ちながら展覧会を見てきた。

結果として、不安になるようなことは何も無かった。そもそも展覧会は静かな空間でぺちゃくちゃ喋るような場所ではない。少し会話はするが議論というほどではない。私が知らないことを友人が話していることもあれば、友人が知らないことを私が話していることもある。そのように補完しあって成長するのだろう。なにより友人のコミュ力が高く、会話のネタを絶えず提供してくれた。そこに関しては感謝しかない。

展覧会の感想としては正直近いものであった。というのも、その友人は同じインターン先で知り合ったため、憧れというものが近いのかもしれない。もちろん違う部分もあり、それを1意見として楽しめた。

帰る前に一緒に新宿御苑に行った。長閑な空間で多くの人がレジャーシートを敷いていた。傾斜地では見事にみんな寝転んでいて異様な光景だったが、友人がそこの傾斜を測り始めたから、やはり建築の人間は変人だなと思った。どこかにいって長さや角度を測り始めたら99%建築系の人間だと思っていいだろう。

友人を変人扱いしながらも、他者から見たら私も変人に写っているかもしれない。悪目立ちしないしようにしようと思ったが、この感覚も同調圧力なのだろうか。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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