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夏の夜

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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物凄い現場を目撃した。

フェスや対バン形式のライブにおいて、出演者同士が一緒に演奏することを、コラボといったりする。即興性の高いものはセッションなんて呼ばれ方もする。

セッションというものを初めて見た。最近では矢沢永吉とB’z、YOASOBIとCreepy Nuts等が豪華コラボをしたことで話題になった。一方私が見たものは、メジャーと呼ぶには程遠いアーティスト達によるものだった。それでも様々な思いが交錯しており、あまりにも微笑ましかった。

片平里菜の全国ツアーが現在開催されている。正確な時期もきっかけも覚えていないが、私は彼女の楽曲は狂ったように聴いていた。そもそも高校時代(特に受験期)に狂ったように聴いていたアーティストがあまりにも多すぎる問題はあるのだが、彼女もその1人だった。

大学生になってからよくライブに行くようになったが、初めて行ったアーティストのライブが彼女のライブだった。2017年の秋に、何故か分からないが急に「行かなくては!」という使命感にかられたのだ。なぜそんなことになったのかは未だによく分からない。謎に発揮される行動力は私の数少ない長所だ。

そのライブが衝撃で様々なアーティストのライブに行くようになったわけだが、彼女のライブはタイミングが合わず全然行けていなかった。初ライブ以来のため、約5年ぶりにライブを見ることとなった。

今回見に行くことになったのは、対バン相手が前から応援しているアーティストだったからだ。会場は新潟と少し遠かったため、当初行く予定は無かった。しかし、好きなアーティスト同士の対バンと知り、そうなればいくしかない。バスに揺られながら向かった。何回乗ってもおしりが痛くなるからバスは好きじゃない。

聴いていた当時は若手シンガーソングライターだった彼女も、今年30を迎えた。世間的に言えば中堅の部類になってきたのかもしれない。彼女の他に出演者は3組。出演者全員が結構な古参ガチファンという感じで、その不思議な関係値が面白かった。

東京のライブハウスに比べて音響も照明も良すぎて笑ってしまった。出演者ではなくて、会場を褒めるのかよとツッコまれそうだが、素人目からでも明らかに違うのだ。渋谷や下北のライブハウスに比べて会場が広いからだろうか。それとも単純にクオリティの問題なのだろうか。違いの要因は分からなかったが、嫌な歪みも耳鳴りのするような音も安っぽいライティングもなくて、普通に感動したのだ。

上京してからそれなりに地下のライブハウスに行くようになった。売れないミュージシャンでも良いミュージシャンは意外と多い。しかし、中には自分に酔ってるだけの人、面白いくらい良さが分からない人、声や言動が生理的に受け付けない人というのが一定数いる。

個人的統計では地下ライブハウスの半分から4分の3はそっち寄りだ。帰ってからも聴き返したい気持ちになるのは正直1割にも満たない。今回の出演者たちは1割未満にくい込んで来た。地元で歌う人達ならではの力なのか、要因はよく分からない。久しぶりに良いもの聴いたなーと感じた。

私自身病的に歌詞が頭に入ってこない体質のため、音楽というものを音としてしか認識できない。そんな中で良かったと感じるのは、やはり会場の音響のせいなのではないかなどと思ったが、その結論はあまりにも無粋なので排除しておこう。

それぞれの出演者が片平里菜という人間・アーティストに対するリスペクトを語りながらも、あくまで歌で挑戦している姿勢が良かった。観客の9割以上が片平里菜ファンという中で演奏するのはなかなかハードだろう。それでも温かい空気感に包まれていたのは本人達の実力だ。

いつものようにディグっていたら出演者の1人である果歩の過去のラジオ出演時音源(公式のやつ)が出てきた。約7年前のものであったがそこで片平里菜が特に好きと語っていた。そんな憧れの人と同じステージで演奏しているのだ。当人でなくても、そんなものグッと来るに決まってる。

今年23になる歳の果歩だが、現在でも十分幼さが残っている人だ。しかし、当時高校1年生だった彼女が幼すぎて、見ながら「子供やん!」と笑わずにはいられなかったのはまた別の話である。

コラボのようにちゃんとリハーサルをしたわけではない。開演ギリギリに片平里菜のノリで決まったほぼ無茶振りらしい。それでも可能だったのはリハーサルなどせずとも歌えて演奏できるくらい、出演者全員が片平里菜の楽曲を好きだったからだろう。

ステージに立って一緒に歌い、奏でる姿は輝いていた。そして出演者が片平里菜を見つめる、その目は完全にファンのそれだった。緊張しながらも微笑み合い、同じものは二度と生まれてこない、その場だけに流れる空気。バスに揺られて来たかいがあった。これを見たことを私は、一生の宝にするだろう。

頼むから映像化してくれ。そう思っていたが、多くを望みすぎているのかもしれない。現代は当たり前に配信や映像化される。それの有り難さも忘れ、慣れてしまっている。あのセッションはあの場にいた人でしか共有できないものがあった。見聴きしたものを己の中で反芻して、記憶として大事にしまいこんでおこう。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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