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推し、燃ゆ

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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「推し、燃ゆ」を読んだ。

最近、読書が全然できていなかった。以前書店に行った際に宇佐美りんの新作「くるまの娘」が並べられていた。冒頭を読んでみるなんてことはせず、直ぐに購入した。そもそも私は内容を読んでから買うなんてことをしたことがない。装丁が気に入ったから買う。話題作だから買う。推しが進めていたから買う。なんとなくタイトルが面白そうだから買う。前作が面白かったから買う。そんなところだ。今回の宇佐美りんは前作が面白かったから買った。といっても、デビュー作「かか」次作「推し、燃ゆ」は物凄い話題を生んでいた。

最新作「くるまの娘」をすぐに読みたいところだが、まだ「推し、燃ゆ」を読んでいない。本を読むなら、デビュー作から順番に読みたいというのは、私なりのこだわりだ。「かか」は既に読んでいる。あれほどの衝撃をまた食らうのか。身構えずにはいられなかった。宇佐美りんの作品は他に比べて短い。150ページもないくらいだ。他の作者なら200,300は当たり前である。そのため、サクッと読める。そこもヒットしている要因かもしれない。とはいえ、読後感を考えると全然サクッと終わらないから、結局覚悟が必要だ。

この人の感性が羨ましいとは思わずにいられなかった。感性が豊かな人は同じ景色を見ていても、より多くのものが見えている。それが自分を苦しめることもあるかもしれないが、私は豊かな感性は豊かな人生そのものに繋がると考えている。私自身、人よりは多少感性が豊かだと思うが本を読むたびに挫けそうになる。そもそも比べることではないのだが、「この人はこんな風に見えているのか。私も見てみたい!」と思ってしまう。

作家に比べたらただのお遊び程度のものだが、noteを書くようになり、他人の書く文章に敏感になってきた。だからこそ、本を読んでいて敵わないなと思ってしまう。作者の詳しい経歴は知らないが、たくさん本を読んで、たくさん文章を書いてきたのだろう。年齢で何かの判断するのは間違いだと分かっていながらも、自分より年下でこの感覚か…と唸らずにはいられない。本を読んできたかどうかは、書く文章や話す内容でなんとなく分かる。稀に本を読んでないけど、感性や言葉選びが優れている人がいるが、かなり例外的だ。学力どうこうではなく、本を読んできた人は知的に映る。もちろん、ビジュアル的な話ではない。

本を読んでいてお気に入りのフレーズや文章はノートにまとめるようにしている。コピーライター的に言葉の組み合わせが秀逸で、一文だけ書き写すこともある。感性に魅せられて、そこの比喩や言い回しが好きで段落ごと書き写すこともある。今回の「推し、燃ゆ」でも同じことをしようとしたが諦めた。本全部を写経することになってしまうから。

話の軸は大きく2つ。現代的な「推す」という文化。私自身、アイドルが好きなため推すという文化には理解があり、読みながら共感したり、行き過ぎた行動に笑ったりしていた。と同時に推すという現代文化に一石を投じるものでもあった。これは別にアイドルに限ったことではない。芸能人でも著者でも、イラストレーターでもなんでも構わない。好きと推しは少し違うかもしれないが、推しがいる人は一度読むべき一冊だ。

もう一つの軸である「発達障害」について。前作の「かか」でもそうだが、宇佐美りんは社会的弱者の解像度と描き方がとにかく上手い。明言はされていないが、特徴からして主人公の女の子はADHDというものだろう。専門家でもない私が深くまで踏み込むべきではないのだろうが、ざっくりというと他人が当たり前にできることができない人のことだ。自慢とかではなく、私はしっかりと色んなことが問題なくできる側の人間だ。それは周りの教育のおかげであり、遺伝子レベルでの細胞レベルでの脳構造のおかげだ。部屋は整理整頓するし、提出物も期日を守る。勉強は普通にしていれば他の人より点数は取れた。全然勉強ができずワークも全然終わっていない同級生は努力が足りないだけだと思っていた。今になって思えば理解できるが、当時の私には怠けているようにしか映らなかった。

ビジネス書の情報をよく入れるため、できるエリートのエピソードを耳にすることが多い。自分なんかよりちゃんと仕事して、バリバリ稼いでいる人が当たり前にいる。と同時に、皆と同じように頑張ればいいと言われ、分かっていながらも頑張ることが出来ず、高校を中退する人がいる。この歪さが現実なんだ。皆が平等に、皆が等しく。そんなことをいくら訴えてもそこに世界がある限り、弱者と強者が存在する。弱者の全員を救うことなんてできない。少なくとも私に今そんな力はない。この世の中は普通の人間に合わせて作られている。もっと言えば、強者が普通の人間に合わせて作っている。普通からあぶれたら、これほど生きにくい世界はないだろう。せめて、私は知ることから始めよう。

どこまで意図的か分からないが、個人的に装丁に感動した。私は大抵、読み終わったらブックカバーを外して裏側を見る。「推し、燃ゆ」は鮮やかなピンクのブックカバーの下に、真っ青なハードカバー製本がされている。読み終わってから気づき、なるほどなと個人的に納得した。

ある程度の咀嚼ができたから、「くるまの娘」に手を伸ばすか。ああ、また衝撃がくるのかと思うと憂鬱にならざるをえない。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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