見出し画像

ドライブ・マイ・カー

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ドライブ・マイ・カー」を見た

最近自分の中で分かってきたことがある。それは映画を見終わった後にどれだけ映画について調べるかが、どれほど映画に衝撃を受けたかの指標になっている。もちろん今回は色々調べた。

前情報はほとんど無しで見ることが好きな私は、今回ももちろんそうした。予告編等は一切見ず、様々な賞にノミネートされたロングランの作品という情報だけ持っていった。あ、あと村上春樹原作だというのは書店で展開されているのを見て知っていた。

やはり、予告編を見なくて正解だった。あれはある種のあらすじであり、いいところの詰め合わせみたいなものだ。しかし、セリフ(音声)と場面が一致していなかったり、セリフとセリフを掛け合いしているように見せているが、本編では全然違うシーンということがある。

映画をよく見る友人と話している時に「予告編で見てたシーンが違うように使われて想像を裏切られるのが好き」と語っていた。しかし、私はやはり予告編が苦手だ。予告編を見てしまうと、そのシーンが本編に出てくると「あ、これ予告編で見たな」となってメタ認知が発動し、映画の世界から1回出てしまう。友人は裏切られるのが好きらしいが、自分はそれが物凄く嫌いなので、これまた向いていない。

1番はあらすじとしてかなり喋ってしまうことだ。作品にもよるが、大体のものはエンディングさえ言わなければいいと思っているのか、話の前7割くらいのざっくりとした説明をする。平気で「死別した○○」「1度敗北した○○」といったプチネタバレを挟んでくる。それが耐えられない。

そんな予告編大嫌いという話はどうでもいい。「ドライブ・マイ・カー」についてだ。ここ1年は色んな映画を見るようになり、ここ半年で見終わったあとには言語化するようにしている。しかし、今作は非常に評価するのが、言語化するのが難しい。恥ずかしながらクリエイター側が伝えたかったことをこちらが上手く汲み取れた気がしなかったのだ。

もちろんそれは、話が難しいとかセリフが難解だという訳では無い。安い言葉を使って表現するなら、噛めば噛むほどな作品なのだろう。3時間という長めの映画だが、既にもう1回見たいと思っている。9割9分の作品は見返すことなく、知識と経験として得たとして違うのを見ることが多い私が、またすぐに見返したいと思うのは異例のことなのだ。

色んなテーマがあり、伝えたいことがたくさんある作品なのだろうが、やはりドライブが欠かせない。ものすごく日常的で当たり前だが、密室で聖域である車内というのが印象的だ。サーブ900という左ハンドルの外車というこだわり全開の車の中で様々なものが描かれていく。そしてそれは直接的ではなく、ミラー越しの表情や座る位置、車内での営みなどから信頼関係や心情の変化が感じられる。

そして、ドライブといえば景色だろう。映画というビジュアル命のような媒体との相性は抜群だ。画角や景色、色んなものが計算されつつも、心が揺れ動いたものをカメラで移しているのが伝わる映像。そして、それに伴うBGMや自然音に機械音、そしてミュート。映画館で見るべき作品だなとつくづく思った。

俳優陣の演技はどれもよかったのだが、個人的にはやはり三浦透子に惹かれた。新海誠監督の「天気の子」という作品でRADWIMPSとフューチャリングしていたので元々知ってはいた。しかし、改めてスクリーンで、あの役を通して見た彼女は余りにも魅力的に映った。表情、声色、役として背負っているもの、温度感、車内での様子。全てが完璧に映っており、彼女のために映画があったのではないかとさえ思えてくる。

まだ原作小説は読んでいない。早く読んで2回目を見に行きたい。ロングランだった今作も今月で映画館での放映が終わるらしい。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?