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やりたいことなんてあるわけないでしょ

当たり前の話。


「主体性」とか「個性」とか、そういうのが重視される時代になってきたのだろうか。


とてもいい時代になってきたと思う。
前時代的な思想の強制は最近ではパワハラとして扱われ、あるコミュニティに隷属することが美徳という考え方は次第に薄れていってるように感じる。

「選択の自由」の観点で言えば、過去に比べて自分のやりたいことに対して簡単に打ち込むことができるようになってきているのだろう。

そしてその「やりたいこと」への熱意が仕事などにおける原動力となり、最終的に組織に還元されることは各論を通して多くの企業のマネジメント層も理解してきていると思うのだ(最低限僕の会社はそんな感じです)。


……が、物事には当然表裏があって、こういった時代の変化に伴って逆に生きづらくなった人もいるんじゃないか?と僕は思っている。


ここで一つ皆さんに問いかけをしたい。


心の底からやりたいことが皆さんにはあるだろうか?



■やりたいこと?

もしあるのならば今回の話は全く関係なくなるのでブラウザバック頂いて構わないのだが、多くの人はこの問いかけに即座に答えられないと思う。


今40代に差し掛かり仕事にはもうだいぶ慣れてそれなりの裁量権もあるが、自分が本当にやりたいことがわからず変わらぬ毎日を過ごしているような方………

今大学生で就職活動中だが何が自分の希望なのか、どういう人物になっていくのかが分からず就職先に悩んでいるような方………

20代中盤で会社の若手だが、上司からは「お前は何がやりたいんだ」とキャリアについて詰問され何も答えられずその場しのぎで営業のプロになりたいですとか言っちゃってるような方………


めっっっっっっっっっちゃくちゃたくさんいると思う



上記のような状況に直面した時、「ああ、、自分はなんてつまらない人間なのか。。自分より若い売れっ子Youtuberはこんなにもイキイキしているのに。。」なんて思っていたりするのではなかろうか。

ただ漠然と毎日を過ごしている自分のことを空っぽだと思っているのではなかろうか。

「好きなことで生きていこう」というキャッチフレーズが妙に身に染みるのではなかろうか。

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……


………


だが皆さん安心してほしい。

そんなことは当たり前だ


若いうちからやりたいことがはっきりしていてそれに対して行動ができる人間なんて極めて特殊なのだ。

最近はSNSが発達したせいでいわゆるネットタレントが大量に出てきたことで多くの特殊な人間が近くに感じられるようになっているが、本来そのような人をスタンダードとして物事を考えるのはあまりに早計だと思う。

むしろ、今やりたいことについて悩んでいる人々は自分の持っている情報と経験から物事の実現性を立ち止まって考えることができる「思考スキル」を持っていると考えていい。

加えて言えば多くのインフルエンサーや起業家の成功の陰には必ずリスク管理や緩衝材となるような共感性と協調性のある「思考スキル」をもつ者がいる。

そもそも論としてどっちがいいとか悪いとかはないのだ。
生きづらさを感じる必要なんてない。

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■認知的不協和について

さて、もう少し具体的な話をする。

心理学者のレオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」という概念がある。

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レオンさん


そもそも人間は理性的な人間なので、本来「やりたいこと」があってもすぐには飛びついたりしない。リスクや社会への影響など考えるものだ。

一方で、「やりたくないこと」があっても自分のやる気を維持するために認知そのものを歪めたりする。

「認知的不協和」とは、「人間の思考の中に二つの矛盾する考えが発生したときに感じる不快感」である。

例えば、喫煙者が感じる「タバコ吸いたい。。」という感覚と「タバコを吸いすぎると肺がんのリスクがあがる」という常識は矛盾しており、このまま両方を受け入れると「タバコ吸っちゃったけど肺がんになるかもしれないな、、怖いな。。」という不快な感情が現れてしまう。

このとき人間は現実ではなく「認知」を歪めて感情の整合性をとろうとする。

どうするかというと、「まあヘビースモーカーでも長生きの人いるしそんな気にしなくていいか!!」と開き直ることで不快な感情を消すのだ。


ではこれを実社会で考えてみたらどうか。

冒頭で述べたように多くの人はリスクを考慮して自分が本当にやりたいことなどに手は出さず、生活のため、家族のために日々「本当はやりたくないであろう」仕事を行っている。

その認知的不協和が発生している人間はどうやってその自己矛盾を解消するのか?



……


………

「自分がやっていることは楽しいことなのだ」と認知の方を歪めるのだ。

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……つまり、あなたに向かって「お前にやりたいことはないのか」と詰めてきて主体性ややる気について問いただしてくる人がいたとしても、その人は多くの場合単にやりたくなかったことを続けてきてそれが「やりたいこと」であると認知を再構成したに過ぎないのだ(中には本当にやりたいことだった場合もあるが)。


■さいごに

あなたは人と比べて熱意のないつまらない人間だと思い込む必要などまっっっったくない。多くの場合スタート地点は変わらないのだ。

あなたはあなたのペースで少しでも興味をもったことに取り組み、ときにはつまらないこともやり、多くの経験を積み重ねていく過程で自然と心から「やりたいこと」に出会うことができるようになっている。

それでも時には疲れてしまうだろう、そんなときは「一見何の役にも立たないがなんとなく興味を惹かれるもの」に対して取り組んでみるといいかもしれない。僕のように記事を投稿するでもいいし、イラストを描いてみるとか、楽器を始めるとかでもいい。

もともとあなたはあなたとして特別な人間だが、それでも納得できないのならそうやって周りの人があまりやっていないようなことをすこしずつかじっていくだけで、あなたはいつのまにかオリジナリティのある人間になっていくのだ。

少しでも今の世の中に生きづらさを感じる人がいたら、決してその苦痛は自分一人が感じていることではなく、共感されるべきものであることを知ってほしいと思う。

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